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大山のぶ代の編集履歴

2021-03-12 18:02:48 バージョン

大山のぶ代

おおやまのぶよ

日本の女性声優、女優。現在は事実上引退状態にある。

人物

1936年(実際は1933年生まれ。後述)10月16日生まれ、東京都出身。現在はアクターズ・セブン所属。

本名・山下羨代(やましたのぶよ)(旧姓・大山)。

夫はNHKおかあさんといっしょ」の初代お兄さんである砂川啓介(故人)である。


言わずと知れたドラえもんの担当声優。1979年から2005年まで、実に26年にわたってドラえもん役を務めた。

「初代」とされることがあるが、正確にはアニメ第二作(テレビ朝日版)の初代であり、「ドラえもんの声優」としてはアニメ第一作から数えて3代目となる。


すでにドラえもんの声優は水田わさびに交替しているが、1979年から2005年にかけて放送されたドラえもんは「大山のぶ代版」とも呼ばれ、現在でもドラえもんの声と言えばこの人をイメージする人が圧倒的に多く、ドラえもんのモノマネをされる場合は大抵大山版である。

ちなみに、「ぼくドラえもんです」「フフフフフ」、のび太が道具をいたずらにした際に言う「ぼく知〜らない」、そして次回予告の際の「楽しみに待っててね〜」は、実は大山のアドリブである。


ドラえもんのダミ声ともいえるような独特の声はほぼ地声である。本人はこの独特な声にコンプレックスを感じていたとも発言しているが、藤子・F・不二雄から「第1話を見ましたが、ドラえもんはああいう声をしてたんですね」と言われたことで克服できたという。

あまりにもハマり役であった為か、ドラえもん役にキャスティングされて以降、声優としてはほぼドラえもん役のみに専念しており、キャリアの割に演じた役は少ない。1980年頃に、他の声優の仕事で「ドラえもんらしい声で」というオファーを受け過ぎた事が原因となり、『おかあさんといっしょ』の雌犬のブル子さん以外の役を全て断ったことがきっかけである。

余程のことがない限りオリジナルキャストを採用する『スーパーロボット大戦』シリーズで無敵超人ザンボット3が参戦した際にも同作の主人公である神勝平役を断っているが、これも、ドラえもんのイメージを崩したくないという理由からである。(後任は坂本千夏)


また、ほとんど知られていないが、放送開始時に『サザエさん』の磯野カツオを担当していた。しかし、放送開始から3ヵ月ほどで一身上の都合により、本人の意思で番組から降板し、同役は高橋和枝が引き継いだ。


声優・女優業の他、料理研究家や脚本家、メカニックデザイナーとしても知られ、『太陽にほえろ!』の脚本を5本共同執筆しており、後に『トリビアの泉』などでも紹介された他、彼女の料理本はミリオンセラーを記録している。

また、健康に気を使っており、NHKの『ためしてガッテン』によくゲストとして出演していたが、喫煙の習慣が有った。(脳梗塞を患った後は後述の病気の前兆なのか喫煙への関心が無くなっていたと夫のエッセイで語られていた。)


2005年にドラえもん役を降板して以降は、後進の育成やエッセイストしての執筆活動に専念し、しばらく声優業から手を引いていたが、ドラえもん役の降板から5年が経過した2010年に、ダンガンロンパの悪役・モノクマ役でリターンを果たした。その際に、ドラえもん役に復帰するつもりはないという意向をハッキリと示している。


いわゆる「旧ドラえもん」キャストらとは仲が良く、特に小原乃梨子野村道子とは親友であると公言している。小原とは相棒役にも関わらず使っているマイクが一番遠い場所にあったため、一部週刊誌で不仲説が囁かれたこともあったが、実際には愛煙家の大山が(喫煙スペースが近い)ドア側、嫌煙家の小原がドアから遠い窓側を利用していただけであるという。


認知症の発症と引退

2015年5月13日、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」にゲスト出演した夫・啓介により、アルツハイマー型認知症を発症し、闘病していることが明かされた。その2日後には、実際の生年が1933年であることも判明した。

その一ヶ月後には、長年の共演者の一人・ジャイアン役のたてかべ和也が死去したが、自身は先述の病状が悪化していたこともあり、通夜・葬儀に参列できなかった。ただし、その代わりに直筆のメッセージを送ったとされているが、当の手紙が開封されずそのまま納棺されたため、手紙の内容については非公開となっている。

同年7月24日には、舞台版「ダンガンロンパ」の製作会社より、同月8日に辛くも復帰していたことが発表されたが、更なる病気の悪化も重なり、遂にはモノクマ役を降板、翌2016年以降のメディア作品からは、後任としてTARAKOが起用されている。


2016年4月からは、啓介が病院で自身のガン治療に専念することになったのを機に、老人ホームに引き取られて、静かな生活を送っていた。

啓介は「愛する妻を残して逝きたくない」と考えており、時々大山と面会しつつ治療に励んでいたが、その願いが果たされることなく、翌2017年7月に病状が悪化し、そのまま帰らぬ人となった。

大山は、名義上その通夜と葬儀の喪主を務めたものの、認知症になっても変わらず啓介のことを認識していた以上、愛する夫の死は大きな衝撃だったためか、通夜を控えた日に啓介の遺体と面会はしたものの、通夜と葬儀の場に姿を見せることはなかった。

そのため、2016年で事実上引退扱いとなっている。


アルカノイド

アルカノイド(いわゆるブロック崩し)がうまいことでも知られており、自身の別荘にアルカノイドの筐体を置いていたほどである(現在は諸事情から筐体を手放しており、東京のゲームセンター「高田馬場ゲーセン・ミカド」に譲渡されている)。

自己記録の「およそ120万点」は、公式2位の記録に匹敵する。空港の待ち時間などで暇つぶしとして始めたのがきっかけで、それ以降ゲームセンターなどを巡り回ったという。

ただし、メカ音痴であるため、アルカノイド以外のゲームはほとんどやらないという。


その腕前は『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)のコーナー「ムダベストテン」や『トリビアの泉』(フジテレビ系)、『ゲームセンターCX』の「たまに行くならこんなゲームセンター」などのバラエティー番組でも紹介し披露された。『中井正広のブラックバラエティ』(日本テレビ系)では助っ人として400インチの巨大画面でブロック崩し(アルカノイドではなく、任天堂が1979年に発売した家庭用「ブロック崩し」)をプレイした。


2005年に新宿にあるセガのアミューズメント施設で一日店長を務めた際には、イベントとして多くの来客の前でアルカノイドの実力を披露し、2007年には『アルカノイドDS』発売記念イベントに招かれ、マスコミ達を前にその腕前を披露した。


余談

ドラえもんや民放番組へのゲスト出演時での穏やかなイメージとは違い、芸や仕事に対しては非常に厳しい一面がある。かつてフジテレビ系で放映されていた「快進撃TVうたえモン」にて、声優になるという企画があり、大山が講師として参加していたが、余りの厳しさと迫力に司会の今田耕司から「デビルドラえもん」などと呼ばれていた。また、タレントの声優起用にも否定的で収録で、彼らがNGを出すと「台本ちゃんと読んでるのか」と怒鳴りつけることも多かったという。(これに関しては安易なタレント起用で「声優の仕事を簡単そうに思われることが嫌だったのでは?」 という推察もある。)それから10数年…ほんとに悪魔のようなドラえもんみたいな生き物を演じることになるとは誰が予想していただろうか…

のぶよモノえもん


ドラえもんとモノクマ以外の代表


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