1999年に、後に桜塚やっくんとしても知られるようになった斎藤恭央(さいとうやすお)が、大学時代彼が稽古のために在籍していた劇団で知り合った友人の竹内幸輔(たけうちこうすけ)を誘って結成。活動時には、石井光三オフィスに所属していた。
スケッチブックを用いた紙芝居風のコントが特徴的な芸風である。ネタは主にやっくんが制作していた。やっくんの可愛いキャラを強調しながらも、竹内が、辛辣な言葉づかいで、NHKのキャラクターをネタにして局側から注意を受けたこともあるほど、放送ギリギリの過激なレベルで世間や流行を風刺することが多い。『爆笑オンエアバトル』、『エンタの神様』(当時のキャッチフレーズは「お笑い界の問題児」)や『笑いの金メダル』などのゴールデン番組にも数回出演等でも活躍し、異彩を放っていた(ただし、後に、生前のやっくんは「鳴かず飛ばずだった」と自虐的に当時を振り返っている)。なお、彼らのスケッチネタを掲載した「自習!!」という本が出版社ぴあより発売されたこともある。
芸人活動以外にも、2人とも声優としての活動も大きく知られており、やっくんが死去する直前には、ともに同じ事務所(ケッケコーポレーション)に在籍していた。
2005年、突然、竹内が役者業に専念したいことを、やっくんに打ち明ける。そして、両者の話し合いで、互いの道を優先しあった結果、コンビを友好的に解消。解散後は、やっくんはピン芸人として再出発し、竹内はケッケコーポレーションに移籍し、声優・舞台俳優として活動している。
やっくんの訃報を受けて、竹内が自身のツイッター内で明かしたところによると、その後も、時折連絡を取り合うほど、両者の関係は比較的良好だったらしい。