概要
1999年に、後に桜塚やっくんとしても知られるようになった斎藤恭央(さいとうやすお、1976年9月24日 - 2013年10月5日)が、大学時代彼が稽古のために在籍していた劇団で知り合った友人の竹内幸輔(たけうちこうすけ、1976年7月4日 - 2022年6月8日)を誘って結成。活動時は石井光三オフィスに所属していた。
スケッチブックを用いた紙芝居風のコントが特徴的な芸風である。ネタは主にやっくんが制作していた。
やっくんの可愛いキャラを強調しながらも、竹内が辛辣な口ぶりで毒舌を飛ばすスタイルが特徴。NHKのキャラクターをネタにして局側から注意を受けたこともあるほど、放送ギリギリの過激なレベルで世間や流行を風刺することが多かった。
『爆笑オンエアバトル』・『エンタの神様』(当時のキャッチフレーズは「お笑い界の問題児」)や『笑いの金メダル』などのゴールデン番組にも数回出演等でも活躍し、異彩を放っていた(ただし、後に、生前のやっくんは「鳴かず飛ばずだった」と自虐的に当時を振り返っている)。なお、彼らのスケッチネタを掲載した「自習!!」という本が出版社ぴあより発売されたこともある。
2005年、突然、竹内が役者業に専念したいことを、やっくんに打ち明ける。そして、両者の話し合いで、互いの道を優先しあった結果、コンビを友好的に解消。
解散後は、やっくんはピン芸人として再出発し、竹内もケッケコーポレーションに移籍して声優・舞台俳優として活動。また、やっくんも2010年頃から声優業を行うにあたって「声のみ預かり」という形でケッケコーポレーションに在籍していた。
尚、やっくんの訃報を受けた竹内が自身のツイッター内で明かしたところによると、解散後もたびたび連絡を取り合うなど関係は良好であったとのこと。時折コンビ時代の思い出も語っており、2020年に『エンタの神様』の復活企画でやっくんへの追悼コメントが出された際には「エンタに桜塚恭央出てましたね。まだテレビ出んのかよ。やるじゃねーか。」とコメントしていた。