千葉県において鉄道事業・不動産業を行う準大手私鉄。
名前の通り、京成の子会社である。
新京成線
路線は松戸~京成津田沼間26.5km。新津田沼迄標準軌複線。当初1,067mmで開業、1953年(昭和28年)10月に全線の軌間を1,372mmに、1959年(昭和34年)8月には1,435mmに改軌。
新津田沼と京成津田沼の間は単線(京成津田沼付近を除いて複線分のスペースは確保されていて、新津田沼側は長さ12・3両分の引き上げ線として使用されている)。
新津田沼-京成津田沼の間が単線なのは、現・イオンモール津田沼(旧・イオン津田沼SC)の場所には、京成電鉄第二工場が1982年(昭和57年)頃迄存在した。そこへの引き込み線(京成電鉄に所属する構内側線)の扱いだった当時の名残で、京成電鉄の車両工場が宗吾参道に移転した後の1987年(昭和62年)に新京成電鉄へ譲渡された。0キロポストは現在も新津田沼駅に有る。
新津田沼駅は、現在の位置に落ち着く迄駅舎の位置や路線がかなり変わっている。以前は同駅と京成津田沼駅への2つの路線が有ったが、現在はかなりの急カーブで1つの線にまとめている。
京成電鉄の子会社。京成千葉線への乗り入れを行っている。将来は京成車による相互乗り入れや運行時間の拡大、京成千原線への乗り入れ区間拡大も検討している。
運賃が安く、端から端まで乗り続けても250円で済むが、回数券は有効期間がやや短い。
親会社の京成電鉄よりも経営状態は良い様だ。
ちなみに、松戸方面行が「上り」、京成津田沼方面行が「下り」とされている。
カーブが異常に多く、曲がりくねっているのが特徴だが、カーブが多いのは元々は日本陸軍の演習線(演習線の軌間は600mmのナローゲージ)だった為である。演習線時代にはもっと途方もなくカーブだらけの線であり、これでも私鉄として開業する際にかなり直線化している。路線は下総台地の分水嶺に沿ったルート(つまり小金牧の区域内)を走っており、トンネルも川に架かる橋も高架線(現在新鎌ヶ谷付近で立体化工事中)も一つもない。
実はこの演習線、今でこそ京成の物だが、これを西武と京成で取り合いをしたらしい。
もしこの時に西武が勝っていたら、この線は新西武線に成っていたのか?
かつては松戸 - 柴又間・国府台間の免許も取得していて、松戸市内では路線用地も買収していたが、千葉大学園芸学部や柴又駅周辺の反対にあって計画は頓挫し、未成線化されたまま1971年(昭和46年)頃に免許を失効。買収した路線予定地のうち三矢小台駅(仮)はリブレ京成三矢小台店・松戸新京成バス折り返し場に、松戸駅付近は常磐線の複々線化用地に、その他も多くが住宅地に転用されている。
又、国府台駅迄の延伸計画は、流山電鉄(現流鉄)が市川駅へ延伸する免許を取得し、延伸が実現してしまえば、京成系列の縄張りに深く侵入し、流山電鉄が路線バスも運行し、経営権を侵される恐れがある事から、延伸を阻止する目的も有った。
この延伸計画は、新京成線と京成金町線を接続する構想で、実現していたら新京成線の都心乗り入れもあったかもしれない。
車両
現有形式
N800形
新京成最新車両。京成新3000形をベースにした兄弟車。800形の後継として造られた。
8900形
新京成では初の軽量オールステンレス車。数少ない8両運用専属であり、京成乗り入れ非対応。
8800形
日本の直流1,500V鉄道路線用としては、VVVFインバータ制御を本格採用した初の車両として有名。
京成乗り入れ対応と乗り入れ非対応の編成が存在。
2006年から2014年にかけて、既存の8両編成から中間の2両を抜き取り6両編成になった。その際、抜き取った中間車を先頭車化改造して、最終的に8両編成12本から6両編成16本に組み替えた。
8000形
前面のデザイン・配色から「新京成の狸」の愛称で呼ばれる。全て6両。
過去の形式
800形
2010年7月17日に実施されたダイヤ修正で朝ラッシュ時の運転間隔を現行の4分毎から4分30秒毎に変更されたのにともない、定期運用から離脱した。
そして翌週の7月24・25日に事前申込制の「さよなら800形イベント」が開催され、営業運転を終了した……筈だが、その後も、何事も無かったかの様に営業列車(しかもラッシュ時に)として走っている姿を、沿線のファンに何度か目撃されている。