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清霜の編集履歴

2014-08-09 17:23:00 バージョン

清霜

きよしも

帝国日本海軍の駆逐艦。またはそれをモデルにした艦これに登場する駆逐艦娘。

概要

1,四文字熟語「紫電清霜」にある清霜。熟語の意味は鋭く光り輝く武器のいかめしさの形容。また、人がすぐれて光り輝き、節操の堅い形容。「清霜」は清らかにきりっとひきしまったものの形容。

2,上記を由来とする大日本帝国海軍の駆逐艦。

3,上記の駆逐艦をモデルとした艦隊これくしょんの駆逐艦娘。


駆逐艦「清霜」

2にある大日本帝国海軍の駆逐艦。

1942年度(マル急計画)に浦賀船渠で建造。1944年(昭和19年)5月15日に竣工、横須賀鎮守府籍となり、第十一水雷戦隊に編入。旗艦「長良」および僚艦「松」とともに横須賀に向かい、そこで「多摩」「木曾」「皐月とともに「伊号作戦」に参加した。


同年10月18日に捷一号作戦に第二艦隊第三戦隊第二部隊と共に参加。レイテ沖戦にて被弾した戦艦「武蔵」の援護を「利根」とともに担当。だが「武蔵」は空襲によって撃沈され、「清霜」にも一番発射管に直撃弾1発が命中。その後「浜風」と共に「武蔵」の乗員約500名を救助した。ただしこの「武蔵」の乗員は後にマニラの戦いに参加して全滅した。


12月24日にミンドロ島のアメリカ軍に対する殴りこみ作戦「礼号作戦」に参加。

2日後の12月26日21時15分、「清霜」はB-25の爆撃を受け、左舷中部に250キロ爆弾を受け、重油タンクが破壊され左舷の機関は停止。また数分後には右舷の機関も停止し航行不能となった。艦尾が激しく沈下し船体全てから火災が発生した「清霜」は、23時15分に大爆発を起こして北緯12度38分 東経120度43分の地点で沈没した。

第二水雷戦隊司令官木村昌福少将は戦闘終了後に「霞」と「朝霜」と共に救助活動を行い、1時間14分に及ぶ救助作業の末、白石長義司令以下91名が「霞」に、駆逐艦長梶本顗中佐以下167名が「朝霜」に、合計258名が救助された。戦死および行方不明者は84名であったが、行方不明者のうちの5名はアメリカ魚雷艇に救助された。


艦隊これくしょんの清霜

上記の駆逐艦をモデルとした艦隊これくしょん駆逐艦娘


2014年8月8日のアップデートによって実装された。

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