概要
明治維新が成し遂げられた日本では不平士族の政府に対する不満が続出し、各地で武装蜂起が相次いだ。
なかでも鹿児島は独立勢力となっており、西郷隆盛は中央政界での対立から下野していた。西郷を慕う多くは政府との戦いを主張したが西郷はこれを拒み続けた。
しかし、私学校生徒達と軍隊が衝突し、東京の警察の密偵が明らかになったことから、ついに明治10年(1877年)に西郷は私学校生徒と士族達に押されて挙兵。
熊本城を目指して進軍したが、苦戦の間に政府軍が到着し撤退。熊本県の田原坂で激戦となるも大敗し、宮崎県内から鹿児島へ敗走。城山が陥落して西郷は負傷し、自刃して介錯を受けた。
西南戦争は最後の死によって終結し、1万数千人も戦死者を出した。