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カリフの編集履歴

2015-02-20 13:22:41 バージョン

カリフ

かりふ

イスラム教の役職。イスラム教徒での『首位権』を持つ最高指導者。1922年に公式のタイトルは消滅

概要


カリフ(calif)アラブ語、ハリーファ(Khalifa)スンニ派ではイマーム(Imam)とも

 イスラム教の皇位、首位権を持つ。『(ムハンマドの)後継者、代理人』の意味。キリスト教における『キリストの代理人』であるローマ教皇に匹敵する位であり、『教皇』と訳してよいと考える。

【歴史】

【ムハンマド家カリフ時代】

 開祖ムハンマド(モハメッド)没後、いとこにあたるアブー・バクルがイスラム教代表となったとき自らを『後継者(カリフ)』と名乗ったことに始まる。以後カリフは代表の位となり、代々のムハンマド家あるいは親戚が世襲したが、4代カリフ、『アリー』が権力闘争によりムワーウィア・ウマイヤ(ウマイア国初代君主)の一派に殺害された。これにより『ムハンマド一族』によるカリフ世襲が終わる。(この後、イスラム教徒(ムスリム)に中に、4代アリーを神聖視し、ウマイヤが築いた権力とその後のイスラム教国を邪道視し、自身らが正統なイスラム教徒とする傾向を示した『シーア派(アリー党)』が誕生する。(全ムスリムの一割)


【歴代カリフ・イスラム国の時代】

 アリーを殺害したムワウィーアー・ウマイヤの一党が国家樹立をする(ウマイヤ帝国)、その時ウワーウィーアーは自身の君主号として、カリフ皇位を用いる、その後時代にイスラム諸王国が勃興をしたときに名乗る君主号として【カリフ皇位】を用いることが慣例となった。


【役割の変化】

 イスラム世界が歴史において長い時代の中で体制や制度が更新されゆくうちに、政治的帝王(スルタン・マリク・シャー)などが最高の権力者とされ、カリフ(教皇)はイスラム教世界(ウンマー)と信徒民(ムスリム)の象徴とされるようになった。


【絶頂期と凋落】

 カリフ教皇の権威が強大となったのはメソポタミア(イラク)地域にシーア派が立てたアッバース国(750-1258.都バグダット)やアナトリア(トルコ)地域にスンニ派が立てたオスマン帝国(1299-1922)などがある、特にイスラム教史上最大の版図を築いたオスマン帝国のカリフ教皇の権威は絶大であった、(しかしオスマン体制ではカリフ教皇よりスルタン帝王のほうに重きが置かれており、特にシーア派からは全否定されていたと思われる)


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イラストなど

アブデュルメジト1世


関連

暗黒サラセン帝国

イスラム国・・・2014年に中東において一方的に国家宣言した、イスラム原理暴力集団。『カリフ制イスラム原理主義国家』のを標榜する。テロリストの親玉は『カリフ(教皇)』を名乗った。客観的にいうと『カリフ』はテロリスト風情が名乗っていい位ではない。


【参考文献】

『ブルジュ・ハリファ』(ハリファのスペル)

『研究社 マイペディア辞典』

『広辞苑』

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