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鈴木史朗の編集履歴

2015/03/06 09:08:08 版

編集内容:ちょっと修整

略歴

1938年2月10日生まれ京都市出身。

父が「大陸で一旗挙げたい」といって、それまで勤めていた有名な生命保険会社を辞めて単身、大陸へわたり、残された母は、彼が1歳になるのを待って、1939年4月頃までには大陸へ渡り、南京戦が行われたのが1939年12月。その1年半後には、母は女1人、子供を抱いて中国に渡った。

帰国後、早稲田大学法学部卒業後1962年にTBSテレビに入社、アナウンス室所属となり、入社1年目の時にアメリカのジョン・F・ケネディ大統領暗殺の第一報を伝えた。その後各部署を転々とした後、1983年にアナウンス部に復帰。1998年に定年退職するまでアナウンサーを続けた。退職後は俳優歌手ナレーターなど他分野にも精力的に取り組み、現在は講演活動を中心に活躍している。

よく名前を「鈴木史」と間違えられるが、正しくは「史朗」である。

シニアゲーマー・鈴木史朗

彼を語るうえで欠かせないのは、大のゲーム好きであるということ。なかでもバイオハザードは全シリーズ持っているという筋金入りのマニア。

ゲームデビューしたのはスペースインベーダーでその後はスーパーマリオブラザーズグラディウスなどの名作もプレイするようになった。元々は、娘のために買ったのだが次第に自分がハマっていってしまった。

バイオハザードにハマったきっかけは、自身がコーナー(ご長寿早押しクイズ)司会を務めている「さんまのSUPERからくりTV」の忘年会でプレイステーションが当たり、娘からバイオハザードのソフトをプレゼントされたのが始まりである。

2008年に「鈴木史朗はゲームがかなり上手」というネットでの噂を検証したテレビ番組の中で実演し、ハイスコアを叩き出したうえに、「ぶっ殺します」、「焼きます」など普段は冷静な面持ちからは想像できない発言をしネット上を大いに賑わせた。

以降ゲームイベントへの出演やゲーム情報誌の取材の際には、自身のセーブデータを持参して実況プレイをして腕前を披露している。また、同じくシニアゲーマーとして有名な加山雄三とは同士であると話している。

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アナウンサー

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