華の二水戦
はなのにすいせん
旧大日本帝国海軍第二水雷戦隊の別称。
旧大日本帝国海軍が隷下に編成した水雷戦隊、第二水雷戦隊([二水戦]])の別称。
1914年に初編成されて以来前線部隊の主柱たる第二艦隊にあって最前線への切り込み部隊として
強力な装備と艦船、そして兵員の練度も著しく高い者が優先して充当された花形部隊としての
栄誉の呼称が「華の二水戦」である。
これらの艦と兵らを常軌を逸したと思われる(「月月火水木金金」、夜間に探照灯を照らしながら相対速度100km/h程で急速接近)程の訓練で鍛え上げ、世界史上最強クラスの雷撃能力を磨き上げていた。
太平洋戦争開戦時は旗艦「神通」が率い、その下に第8(朝潮型)・第15・第16(陽炎型)の各駆逐隊が集う陣容であった。
戦況と共に構成する駆逐隊も艦の変更や統廃合などを繰り返し、旗艦もコロンバンガラ海戦で神通を喪失したのちは長良(ごく短期)、能代と代わり、事実上最後の作戦となる天一号作戦発令時には旗艦矢矧が残存艦を率いて奮戦するも及ばず、矢矧も失われ作戦が敗北で終わった後の1945年4月20日、数少ない帰還艦「初霜」艦上で二水戦の解散が告げられ、その歴史に幕を下ろすこととなった。
Pixivでは太平洋戦争前~戦中に12年近くの長きにわたり旗艦をつとめ、各艦への訓練に意を用いた旗艦「神通」の艦娘としての姿を描くイラストが比較的多いが、参加各艦についても描かれている事例は少なくない。