飛べ、栄光の大空へ! (初期のキャッチコピー)
飛ばなきゃならない理由(ワケ)がある! (第34回大会以降)
概要
正式名称は「鳥人間コンテスト選手権大会」。
参加団体や関係者からはしばしば省略して「鳥コン」とも呼ばれる。
日本テレビ系列の夏の風物詩であり、長寿番組となっている。
1977年に滋賀県近江八幡市の宮ヶ浜水泳場で第1回が開催されて以降、毎年7月に滋賀県彦根市の琵琶湖を舞台に開催され、1980年(第4回)以降は同市内にある松原水泳場を会場としている。
1997年には台風の直撃を受け、第21回大会の全面的な中止が余儀なくされた。また2009年には諸々の事情で大会の開催そのものが中止とされたが、復活を望む多くの声が寄せられ、翌2010年(第33回)から再び開催される運びとなった。
大会のルールは毎年改訂されており、ルールブックも毎年発行されている。基本は湖岸に設置されたプラットフォームから友人の飛行機を飛び立たせ、着水し飛行不能になるまでの飛行距離(または飛行速度)を競うというもの。
初期は個人参加が主流だったようだが、大会の規模が大きくなったことで大学のクラブやサークルの参加が増え、さらには大学のOBによる私設チームの参戦も大会を賑わせている。
「手作り飛行機で空を飛ぶ」という浪漫の塊のような大会である一方、危険と隣り合わせでもあり、事故に至ったケースもある。そのため各チームには知識、技術、経験とも習熟が求められ、向上した機体性能やパイロットの能力が大会のルールを凌駕する場面も見られるようになった。
競技部門
1977年の第1回大会は飛行距離を競う、滑空機による「競技部門」のみ。
第2回からは面白さを競う「コミックエントリー」が加わったが、こちらは第11回で部門ごと競技が中止されたのを最後に姿を消した。なお、第2回から登場したプロペラ機も、当時の機体性能の低さからしばらくコミックエントリーに分類されていた。
競技部門が機体やパイロット別に分割されたのは第10回からで、「滑空機部門」「人力プロペラ部門」「女性パイロット部門」に分かれ、以後は滑空機とプロペラ機を主軸とした競技構成となる。
2006年の第30回大会以降は「滑空機部門」「人力プロペラ機タイムトライアル部門」「人力プロペラ機ディスタンス部門」の3つの部門で構成されている。
関連タグ
本庄季朗・・第一回大会優勝機の設計者
外部リンク
ウィキペディア「鳥人間コンテスト選手権大会」……部門の変遷の詳細や大会各回の記録など。
人力飛行機の安全運用について……HPA Safety有志による資料(HPA = Human Powered Aircraft または Airplane)。