簗田政綱
やなだまさつな
室町末~安土・桃山時代の人物。
簗田政綱とは織田信長に仕えた戦国時代の人物である。出自、生没、共に詳細はハッキリしていないが、一説には桶狭間の戦いにて今川義元の首を挙げた毛利良勝(毛利新介)に増して論功行賞を受けた事から、桶狭間山に陣取る今川義元の本陣位置を織田信長に報告した人物とされている。が、そのような事実が判定できる史料は今の所、発見されていない。
故に情報で手柄を立てた人物と云う事で、密偵とされたり忍びとされたり作戦参謀とされたりと中々に想像力を掻き立てられる人物であるが、史実としてハッキリしている事は、
・簗田某という人物が存在した事。(弥次右衛門、出羽守、左衛門太郎と幾人か確認できる。実は政綱という諱も江戸時代以降の資料にしか見えない)
・桶狭間の戦いの戦功で沓掛に知行を与えられた事。(3,000貫といわれる)
・織田信長に仕え、たびたび戦場に赴いていた事。
というレベルである。特に、桶狭間の戦いでどの様な功績があって第一功とされたかが不明である点について史料の発掘が待たれる。
なお、息子がいた事が分かっているが、その名は広正とも正次とも言って、これもよく分かっていない。そもそも広正こそ政綱の本名という話もあり、この親子の事績は混同が多いようだ。