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高木時尾の編集履歴

2016-06-05 16:08:50 バージョン

高木時尾

たかぎときお

藤田時尾の旧姓。

来歴

幕末の会津藩大目付・高木小十郎の長女として生まれる。母親は大変な美人であったらしい。

本名は貞。


山本八重より、1つ年下。山本家とは斜め裏の隣家であったことから八重とは親友であった。

また高木家と日向家は隣通しで、日向ユキは良く高木家で過ごしていた。

祖母裁縫を教えており、盲人だったが何でも出来る人だったという。


父親の小十郎は京都の禁門の変にて戦死し、その後は長男の盛之輔が家督を継いだ。

会津藩藩主・松平容敬の養女であった照姫の中臈で書記を務めた。

時尾という名は、容保公の義理の姉・照姫さま付きの右筆として仕えた際に頂いたお城での名前である。


会津戦争で八重が戦う際に、男装・断髪の髪を脇差で切ろうとするも、上手くいかず高木時尾が手伝ったと言われる。その後は鶴ケ谷城内にて負傷者の応急手当・看護にあたった模様。

そんな中で会津へ転戦した新撰組隊士・斎藤一と出会い、戊辰戦争後に結婚する。

藤田五郎と名を変えた斎藤と同じく、結婚後は藤田時尾と名乗った。



関連イラスト

【八重の桜】八重と時尾

関連タグ

斎藤一 新島八重

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