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来歴

1846年5月10日(弘化3年4月15日)に誕生。


幕末の会津藩大目付・高木小十郎の長女として生まれる。母親は大変な美人であったらしい。

本名は貞。


山本八重より、1つ年下。山本家とは斜め裏の隣家であったことから八重とは親友であった。

また高木家と日向家は隣通しで、日向ユキは良く高木家で過ごしていた。

祖母裁縫を教えており、盲人だったが何でも出来る人だったという。


父親の小十郎は京都の禁門の変にて戦死し、その後は長男の盛之輔が家督を継いだ。

会津藩藩主・松平容敬の養女であった照姫の中臈で書記を務めた。

時尾という名は、容保公の義理の姉・照姫さま付きの右筆として仕えた際に頂いたお城での名前である。


会津戦争で八重が戦う際に、男装・断髪の髪を脇差で切ろうとするも、上手くいかず高木時尾が手伝ったと言われる。その後は鶴ケ谷城内にて負傷者の応急手当・看護にあたった模様。

そんな中で会津へ転戦した新撰組隊士・斎藤一と出会い、戊辰戦争後に結婚する。

藤田五郎と名を変えた斎藤と同じく、結婚後は藤田時尾と名乗った。


夫との間に息子が三人おり、三男の龍雄は生まれる前から親戚の沼沢家の養子となることが決まっていた。ちなみに長男・勉の結婚は時尾がみどり(勉の妻)のことを気に入ったことがきっかけらしい。


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斎藤一 新島八重

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