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Fi103の編集履歴2017/04/15 13:56:56 版
編集者:ロータス
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Fi103

ふぃーぜらーいちぜろさん

第二次世界大戦中にドイツがつくった世界初の巡航ミサイル。通称V1号。

概要

ドイツが第二次世界大戦中に開発した、パルスジェットエンジン付無人飛行機。当時は「飛行爆弾」と呼ばれたが、今日の巡航ミサイルの元祖である。

1933年、フィーゼラー社はすでにこの種の兵器の研究をしていたとされる。1942年になって空軍から正式に開発の指示が出され、動力はパルスジェットエンジンと決まった。

ジャイロスコープで方角を設定し、気圧高度計で飛行高度を設定、先端のプロペラの回転数で飛行距離を割り出し、一定距離を飛行するとエンジンが止まり地上に落下する仕組みである。

1942年12月に試射に成功。この頃になるとドイツは東部戦線でも押し返され、本土は英米の爆撃にさらされており、なんとか一矢報いたい状況であった。そのための兵器が報復を意味するVergeltungswaffeからV兵器と呼ばれるようになり、本機はその1番手として「V1号」と通称されることになった。

しかしその後の試射実験の失敗から、実戦配備は1944年と出遅れた。配備されたのは空軍第155対空連隊で、発射は地上から、蒸気圧カタパルトを用いて行われた。本格的な発射施設のほかに、移動式のものもあったとされる。また空中発射式も作られたが、命中精度があまりに良くないために量産には至らなかった。

終戦までに、

  • ロンドンに8,893発
  • ベルギーのアントウェルペンに8,698発
  • 同リージュに3,141発
  • 同ブリュッセルに151発

……総計では21,770発と言われており、さらに発射失敗したものが2,448発と言われている。もうヤケクソという言葉がぴったりである

受けた側のイギリスでは「buzz-bomb」あるいは「doodlebug」などと呼ばれ、ロンドン市民に一定の恐怖を与えることには成功した。しかし、もはや戦局は圧倒的にドイツに不利になっていたのである。

Fi103の欠点はアクティブな誘導装置がなく、一定の方向へ向かって飛ぶことしかできなかったため、風で流されたりして目標に届かないものが多かった。

このためFi103を有人化する計画が立てられた。Fi103R ライヒェンベルクの名で制式化された。一応搭乗員は突入前に脱出することになっていたが、操縦席が狭い上に、すぐ後方にはエンジンの吸気口があり、現実的ではなかった。また、たとえ脱出に成功してもそこは敵地であり、無事に帰還できる保証はなかった。

このため、第200爆撃航空団に配備されたものの、人命の浪費と考えたヴェルナー・バウムバッハ司令のサボタージュにより実戦には投入されなかった。

射程は初期型で250km(参考:東京~いわき(福島県)間215km)。速度は600km/h。戦闘機で迎撃可能だったが、この当時の戦闘機は光学式照準器と機銃しかないレシプロ戦闘機で、接近しすぎると爆発に巻き込まれる危険があった。そのため、主翼同士を接触させるなどして機位を失しさせ、墜落させるなどといった方法をとった。

イギリスが下した判断は「V1は合理的な兵器である」というものだった。

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