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Fi103

ふぃーぜらーいちぜろさん

第二次世界大戦中にドイツがつくった世界初の巡航ミサイル。通称V1号。
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概要編集

ドイツが第二次世界大戦中に開発した、パルスジェットエンジン付無人飛行機。当時は「飛行爆弾」と呼ばれたが、今日の巡航ミサイルの元祖である。


1933年、フィーゼラー社はすでにこの種の兵器の研究をしていたとされる。1942年になって空軍から正式に開発の指示が出され、動力はパルスジェットエンジンと決まった。


ジャイロスコープで方角を設定し、気圧高度計で飛行高度を設定、先端のプロペラの回転数で飛行距離を割り出し、一定距離を飛行するとエンジンが止まり地上に落下する仕組みである。


1942年12月に試射に成功。この頃になるとドイツは東部戦線でも押し返され、本土は英米の爆撃にさらされており、なんとか一矢報いたい状況であった。そのための兵器が報復を意味するVergeltungswaffeからV兵器と呼ばれるようになり、本機はその1番手として「V1号」と通称されることになった。


しかしその後の試射実験の失敗から、実戦配備は1944年と出遅れた。配備されたのは空軍第155対空連隊で、発射は地上から、蒸気圧カタパルトを用いて行われた。本格的な発射施設のほかに、移動式のものもあったとされる。また空中発射式も作られたが、命中精度があまりに良くないために量産には至らなかった。とはいえ、1300発以上が空中発射された。


終戦までに、

……総計では21,770発と言われており、さらに発射失敗したものが2,448発と言われている。もうヤケクソという言葉がぴったりである

ちなみに弾頭は850kgのアマトール爆薬であり、着弾すると落速の関係で地表で爆発するので、爆風と破片効果で破壊力はV2ロケットを上回ったともいう。


受けた側のイギリスでは「buzz-bomb(ブンブン爆弾)」あるいは「doodlebug」などと呼ばれ、特徴的な爆音と破壊力で、ロンドン市民に一定の恐怖を与えることには成功した。しかし、もはや戦局は圧倒的にドイツに不利になっていたのである。


Fi103はアクティブな誘導装置がなく、一定の方向へ向かって飛ぶことしかできない欠点があったため、風で流されたりして目標に届かないものが多かった。

中にはUターンして北フランスでロンメル元帥らと会談したアドルフ・ヒトラーのすぐ近くに着弾してしまったものもある。


このためFi103を有人化する計画が立てられた。Fi103R ライヒェンベルクの名で制式化された。一応搭乗員は突入前に脱出することになっていたが、操縦席が狭い上に、すぐ後方にはエンジンの吸気口があり、現実的ではなかった。また、たとえ脱出に成功してもそこは敵地であり、無事に帰還できる保証はなかった。事実上の特攻兵器に等しいもので、He111から空中で射出されるなど桜花に類似した点もある。

このため1944年4月に第200爆撃航空団に配備されたものの、人命と資源の浪費と考えたヴェルナー・バウムバッハ司令のサボタージュにより実戦には投入されなかった。

これを投入するとすれば日本軍の特攻兵器よろしく上陸される前にノルマンディーに向かう輸送船団を狙うべきだっただろう。


V2ロケットにも言えることが、遅すぎた兵器だった。

せめてノルマンディー上陸作戦の数カ月前に投入され、ロンドンではなく大陸反攻の為の部隊や艦船や物資が集められている、イギリス南部の港への攻撃に用いられていたなら、上陸作戦の準備妨害に一定の効果はあったと考えられる。


射程は初期型で250km(参考:東京いわき(福島県)間215km)。速度は600km/h。戦闘機で迎撃可能だったが、この当時の戦闘機は光学式照準器と機銃しかないレシプロ戦闘機で、接近しすぎると爆発に巻き込まれる危険があった。そのため、主翼同士を接触させるなどして機位を失しさせ、墜落させるなどといった方法をとった。この場合墜ちた場所で爆発するので、行う場所を選ぶ必要もあった(下手をすると集落などに墜落して被害を与えてしまう)。


イギリスが下した判断は「V1は合理的な兵器である」というものだった。

主な理由は、

  • 同量の爆弾を投射するコストがランカスター爆撃機より安い
  • そう速くなく迎撃可能なために、連合軍の対空戦力の一部を英本土に張り付けざるを得なくなり、結果として最前線に投入できる戦力が減少した
  • 撃墜された場合、爆撃機では搭乗員も失われてしまうが、V1では攻撃側の人的損失が無い

といったものだった。


海外製モデル編集

V1の不発弾を回収したイギリス軍はこれをアメリカに輸送、アメリカの技術者によって解析が行われアメリカ初の巡航ミサイルJB-2となった。このJB-2は1945年1月に実戦配備が可能となり日本本土への爆撃に用いられる構想だったが、終戦により実施されることは無かった。


一方同盟国である日本にもV1の情報が伝わり、作家の一色次郎の1944年6月の日記に「職場がドイツの無人飛行機の噂で活気づいている」という記述がある。

そして搭載エンジンの製造権を得た日本海軍はV1をもとにした特攻機の開発に着手。「梅花」として1945年7月に開発が始まったが翌月の終戦により設計段階で計画は中止された。


別名・表記揺れ編集

V1飛行爆弾 V1ミサイル

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