翔鶴は、旧日本海軍の航空母艦。翔鶴型航空母艦の1番艦。アメリカのエセックス級やイギリスのイラストリアス級と同様、ワシントン海軍軍縮条約終了後に設計建造されたため、必要かつ十分な装備を持つ大型空母として完成した。1944年(昭和19年)6月のマリアナ沖海戦で米潜水艦カヴァラの放った魚雷に被雷、それをもととする大火災により沈没した。
概要
1937年(昭和12年)に発表された第三次艦船補充計画(通称マル3計画)によって建造を計画された。日本海軍が建造した艦隊型正規空母の決定版ともいうべき、大型正規空母である。
日本海軍の軍艦としては、初めて球状艦首(バルバス・バウ)を採用し最大速力34kt の高速性を得た。機関出力は16万馬力で、大和型戦艦をも上回る。防御能力についても、機関部や弾薬庫などの艦主要部は巡洋艦の砲撃に十分耐えられるよう装甲が施され、炸薬量450kg の魚雷にも耐えうる水雷防御が施されるなど充実した性能を持つ。しかし、飛行甲板の装甲は有しておらず、500kg爆弾が命中すると航空機の運用ができなくなる。また、ダメージコントロール分野に関しても同時期の米英空母に見劣りする面があり、ミッドウェー海戦での4空母損失の教訓から、可燃物の撤去や可燃性の塗料などを使用しないなどの運用上の工夫でカバーされていた。 基本的には瑞鶴と同様であるが、翔鶴は計画時には艦橋を左舷に配置する予定であった。左舷艦橋は、赤城、飛龍で採用されたが、排煙による視界不良や、気流の乱れなどで着艦作業に悪影響を及ぼしたため、右舷配置に変更された。 飛龍の場合は、建造開始後に赤城で左舷艦橋の問題が判明した。しかし、飛龍の建造がかなり進んでいたため、左舷艦橋のまま配置された。だが翔鶴はこの問題が浮上したのが設計段階であったため、右舷艦橋への設計変更が可能であった。
また第五航空戦隊として「瑞鶴」との作戦行動時には決まって本艦が損害を受けることになり、損害担当艦もしくは被害担当艦などという不名誉なニックネームをつけられることもあった。新造時には瑞鶴と区別するために、甲板前部に翔鶴は「シ」瑞鶴には「ス」と書かれていた。 武勲空母として有名になった同型艦空母「瑞鶴」に比べ被害を受ける事が多く戦線離脱する事が多かったが、戦績を比較すれば「瑞鶴」とそれほど大差無く、太平洋戦争中における、傷付きながらも奮戦した武勲空母と称するに相応しいとの評価もある
戦歴
真珠湾攻撃
竣工後は直ちに連合艦隊に所属し、姉妹艦「瑞鶴」と共に第五航空戦隊を編成し真珠湾攻撃に参加した。
珊瑚海海戦で、損傷しながらもレキシントン機の爆撃を回避する翔鶴。この戦いで9割以上の未帰還機を出してしまう。
南太平洋海戦時の翔鶴。
南太平洋海戦での損害状況。
南太平洋海戦で、破壊されたエレベーター部。
第一次攻撃隊
99艦爆26機=指揮官:飛行隊長高橋赫一少佐、零戦5機=指揮官:分隊長兼子正大尉
第二次攻撃隊
97艦攻27機=指揮官:分隊長市原辰雄大尉
しかし真珠湾攻撃作戦から帰投すると、1942年1月1日付で「翔鶴」搭載の常用機定数は「瑞鶴」ともども艦上戦闘機、艦上爆撃機、艦上攻撃機各18機に削減されて「蒼龍」「飛龍」と同じとなり、投射重量は3分の2となった。
セイロン沖海戦
真珠湾後、「翔鶴」はラバウル攻略作戦やセイロン沖海戦などに参加した。
セイロン沖海戦では、「翔鶴」を含む日本艦隊は空母「ハーミーズ」や重巡洋艦「コーンウォール」や「ドーセットシャー」などを撃沈した。
珊瑚海海戦
珊瑚海海戦ではアメリカ海軍の空母「レキシントン」を撃沈、「ヨークタウン」を大破させる。しかし、自らも初の被弾で3発の命中弾を受け戦線離脱。しかも、敵の索敵と、搭載機の航続距離の限界から多数の未帰還機を出す事になってしまった。 また、飛行甲板の損傷の修理に際して素人の工兵が熟練工を監督するという体制で作業が行われた(しかも兵隊の態度が悪かった)ため、能率が上がらなかったという事情もあった。ちなみに同様に珊瑚海海戦で損傷した米空母ヨークタウンは大工の指導の下工兵が作業を行うという体制で短期間に修理を完了している。 このためミッドウェー海戦には参加できなかった。
南太平洋海戦
ミッドウェー海戦で「赤城」など正規空母4隻を失ってからは、「瑞鶴」とともに航空艦隊の主力空母となった。それに伴い、ミッドウェー海戦の戦訓から、搭載機の編制も艦戦27、艦爆27、艦攻18に改められ、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などに参加。
南太平洋海戦では爆弾を受けて大きな損害を出した。珊瑚海に続いて損傷したことで、以降は「瑞鶴」が幸運艦と呼ばれ、本艦は被害担当艦と呼ばれるようになる。
マリアナ沖海戦
マリアナ沖海戦に参加し1944年(昭和19年)6月19日11時20分、飛行機発進中に米ガトー級潜水艦「カヴァラ」 (USS Cavalla, SS-244) からの魚雷4発を右舷に受ける。魚雷によって3軸運転となり速力が低下した。また左舷への注水作業によって傾斜の復旧作業が実施されたが、注水のしすぎによって、逆に左舷に傾斜してしまう。また前部に命中した魚雷によって艦首が著しく沈下した。その後、魚雷被弾時に気化した航空燃料が艦内に充満し、それに引火し大火災を起こす。14時1分、沈没。1272名の乗組員が戦死した。(「大鳳」と類似する。)艦長を含む脱出者は巡洋艦「矢矧」などに救助された。
瑞鶴との違い
「翔鶴」と「瑞鶴」は識別が困難(搭乗員でさえ着艦を間違えた)であるが、艦橋直後のメインマストの中途に拡声器(スピーカー)を備えているのが瑞鶴である。但し、真珠湾攻撃時には双方ともメインマストの中途にスピーカーを備えており、昭和17年末には瑞鶴がこのスピーカーを艦橋左壁に移設しているため、艦橋直後のメインマストのスピーカーの有無を両艦の識別点にできるのは、ごく短期間のことである。尚、飛行甲板前部上に対空識別記号として,かたかな大文字で、「翔鶴」は”シ”、「瑞鶴」は”ス”と記載されていた。
「翔鶴」の武勲を仰ぎ、海上自衛隊舞鶴基地では、舞鶴と羽ばたく鶴(翔鶴)を掛け合わせて舞鶴翔鶴太鼓を結成し、広報活動に従事している。