1592年に日根野氏によって築かれた。
完成は1598年。
「日本三大湖城」のひとつでもある。
別名「諏訪の浮き城」
湖城ということもあって地盤は緩く、そこを解消するため「筏」を地盤に埋め込むなどの工夫がなされている。
それでも城は傷みやすく、定期的な補修が必須とされた。
江戸時代には干拓が行われた。
1601年には日根野氏転封の後諏訪氏が再びこの地に帰還することになる。
諏訪氏の治世は幕末まで続いた。
現在、明治の写真を元に天守は復元されたが、詳細が違っていたため「復興天守」として扱われている