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概要

1592年、それまで諏訪を領有していた諏訪氏に替り、豊臣秀吉により派遣された日根野高吉によって築かれた。完成は1598年。

諏訪湖の島を利用し湖の中に築城され、「日本三大湖城」のひとつでもある。

別名「諏訪の浮き城」

湖城ということもあって地盤は緩く、そこを解消するため「筏」を地盤に埋め込むなどの工夫がなされている。

それでも城は傷みやすく、定期的な補修が必須とされた。

江戸時代には干拓が行われ、浮き城としての機能は失われ、明治の古写真でも地続きとなった様子が記録されている。

1601年には日根野氏転封の後諏訪氏が再びこの地に帰還することになる。このため労せずして名城を手に入れた諏訪氏を囃す「諏訪の殿様よい城持 ちゃるうしろ松山前は海」との俗謡が生まれた。

諏訪氏の治世は幕末まで続いた。

構造

諏訪湖上の本丸を中心に、本丸をコの字状に囲んだ二ノ丸、その北に三の丸等が続く連格式縄張で構成され、上諏訪の市街とは城北端の大手門から湖上に築かれた欅並木道で接続された。

天守は望楼式三層で、天守台より内側に築かれ、一層下端に雨水除けの腰屋根を持つ古風な建築だった。一層の上に二層の望楼を乗せ、二層妻側と三層平側に出窓を設けた、変化に富んだ意匠を持つ。積雪地帯であるため屋根は瓦葺きではなく杮葺きであった。積雪地帯は萩城・会津城の赤瓦や、丸岡城の石瓦などを葺く例がある。

1871年に建築物は破却され、城址も市街化により諏訪湖畔より遥か遠くとなったが、1970年、明治の写真を元に天守、冠木門、本丸角櫓、本丸壁が復元された。詳細が違っていた(観光用に三層目に外縁を設置、平側出窓の火頭窓を1つから3つに増設、杮葺きから銅板葺きに変更、一層目腰屋根を省略)ため「復興天守」として扱われている

アニメ聖地

ゆるキャン△」で志摩リンが天守の横を通過していた。なお、高島城本丸北面の一番景観が良いスポットは、ド真ん中に信号がそびえ立ってため、色々台無しである。

なお、諏訪湖畔の茅野市の企業、株式会社ピーエムオフィスエーからプラモデルが発売され、諏訪御料人をモデルにしたゆるキャラ諏訪姫のフィギュアが付属した特別版も販売された。同社は「ゆるキャン△」のキャラクターフィギュアも発売し、これを付属した特別版も発売している。

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