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鷹司祺子の編集履歴

2018-09-25 20:17:01 バージョン

鷹司祺子

たかつかさやすこ

鷹司祺子とは江戸時代後期の仁孝天皇の女御。

重要

父は関白左大臣鷹司政煕仁孝天皇の女御。のち皇太后、女院。女院号は新朔平門院(しんさくへいもんいん)

経歴

文政6年(1823年)、仁孝天皇の女御であった繋子難産のため26歳で早世。そこで文政7年(1824年)9月に光格上皇・仁孝天皇より鷹司家に対して妹の清姫(祺子の幼名)を後添いとして天皇のもとに入内させるように要請があり、文政8年(1825年)、15歳で入内し、女御宣下を受ける。


文政12年12月(1830年1月)、祺子は皇女を出産するが、天保2年(1831年)に夭折。それ以降子に恵まれなかったため、天保6年(1835年)、典侍正親町雅子所生の第四皇子熙宮(統仁親王、のちの孝明天皇)を養子とした。


弘化3年(1846年)、仁孝天皇が崩御し、祺子の養子となっていた統仁親王が即位する。翌弘化4年(1847年)3月、祺子は新帝の嫡母として皇太后となるが、同年10月13日、出家して女院号宣下を受け、同日中に崩御。享年37。後月輪陵に葬られた。

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