概要
別名を久松城、葦陽城。
正式名称は鉄覆山朱雀院久松城ともされる。
これは天守の背面を鉄板で覆っていたため「鉄覆山」四神相応の朱雀の位置に城があるため「朱雀院」そこに別名の久松城を加えたものである。
元々この福山に街は無く、地名も違っていたが、福島正則の改易をきっかけに中国地方の抑えが必要となりこの福山城と城下町が急遽作られることとなった。
初代藩主は水野勝成。
水野氏改易後は一時天領となるが、その後松平氏を経て阿部氏が城主となる。
幕末には長州軍の攻撃を受ける。
長州が王政復古により官軍となった際にも搦め手から攻められ降伏した。
明治24年 三の丸南側部分を東西に横断するように鉄道と駅が設置される。
明治以降は本丸の天守等が修復されるが、福山大空襲により焼失することになった。
昭和41年に天守が復元されるも、写真等の資料が残っていたにも関わらず一部形状が変更されており復元では無く「復興」天守とみなされている。
伏見櫓のみ現存している。
その他
・所謂「近世城郭」としては最も新しい城
・一部に伏見城のパーツが使われている
・上記にあるように城内の一部を横断する形で鉄道駅が設置されている。駅の中央通路が二の丸正門に当たる場所である。