川路利良
かわじとしよし
薩摩藩士。維新後、初代大警視として日本の警察制度の礎を築いた。
初代警視総監にあたる大警視に就任し日本の警察制度の創設者となり「日本警察の父」と呼ばれる。通称は正之進。名の読みは「としなが」から「としよし」と変遷。
薩摩藩時代
薩摩藩士。禁門の変で長州の猛将・来島又兵衛を狙撃させ討ち取ったことで西郷隆盛に認められる。戊辰戦争では股間に銃弾が命中するも股間の袋がしぼめば致命傷になっていたとこを収縮しなかったので仲間は川路の度胸をたたえた。
警察制度創設、私情を捨て西郷を追い詰める
維新後フランスに留学し犯罪を減らすために警察が必要なことを知る。帰国後ポリスの訳「邏卒(らそつ)」で組織された警察を設立。西南戦争では恩人西郷と敵対する立場になる。
明治10年(1877年)、「征韓論」を主張して敗れた西郷が下野して故郷・薩摩に帰って後、川路が密偵を薩摩に放っていたことが発覚、西郷の門下生たちはこの事実を「西郷を殺害するために派遣された」とみて暴動を起こし、これがきっかけとして西南戦争が勃発、西郷は激戦の末自刃した。
明治11年(1878年)、急病にて死去。45歳没。
真面目な人物でナポレオンを見習い一日に4時間しか眠らず、生涯のほとんど制服を着用していた。