概要
イソップ寓話のひとつ。『狼と羊飼い』あるいは『オオカミ少年』というタイトルがつけられている場合もある。
内容
ある村の羊飼いの少年が羊の番に飽き、村人達にいたずらをしかけることを思い立つ。
少年は「オオカミがきた!」と大声で触れまわり、その声に慌てて駆けつける大人たちを見て面白がった。少年がその後何度も同じいたずらを繰り返したため、そのうち村人たちは少年の声を聞いても本気にしなくなった。
ところが、ある日本当にオオカミがやってきた。少年は驚き大声で叫んで村人に助けを求めた。
しかし、これまでの少年の行いにさんざん振り回された村人たちは、それを聞いても「今回もいつもの嘘だろう」と無視し、誰も助けに行こうとはしなかった。
結果、だれにも助けてもらうことができず、少年の羊はオオカミに食べられてしまうのである。
教訓
他者に嘘をつき不誠実な態度をとり続ければ、やがて信頼を失い、いざというときに誰からも助けてもらえなくなる。
ましてや他者の真心を弄んで笑おうなどとすれば、必ずその身に報いは還ってくるものである。
日ごろから、他者に対して正直で誠実であることが大切である。
食べられたのは…?
原典では、羊のみが食い殺され、羊飼いの少年が命を落とすことはない。
しかし訳者によっては少年が食べられてしまうストーリーがいくつか存在する。
これは原典を元にした一種の創作であるともいえる。
解釈の多様性
寓話は、複数の解釈が可能である。それは、本ストーリーにおいてもあてはまる。
前述の「教訓」もまた、解釈の一形態である。この解釈の形態が創作の幹ともなる。
例えば「少年が嘘をついた動機」などの少年の内面によりスポットをあてたものや、
少年の「嘘」に振り回された村人たちの心情など、方向性は多様である。
星新一版
星新一の『いそっぷ村の繁栄(未来いそっぷに収録)』では、繁栄をキーワードに話が改作されている。
羊の番に飽きた少年が「オオカミが来た」と嘘をつくところは原点と同じだが、村人達がさほど怒りもしなかったところから変化が始まる。
この少年が利口で多感だと知っていたからである。
これが繰り返され、やがて本物のオオカミが襲いかかるのだが、この利口な少年は今までのやり方では相手にされないことは百も承知であり、こう叫ぶのである。
「助けてくれなくてもいいよ。裸の美女の大群が襲ってきた。ひどいめにあわされそうだが、決して助けたりしちゃいけないよ」
反応は凄まじく、あっという間に男性の全員が駆けつけ、心配で女性も全員ついていき、その勢いでオオカミは逃げるに至った。
この利口な少年はやがて若くして村長に任命され、次々と幻影的な政策を打ち出し、彼の村は一番発展した街へと経済成長を遂げるのである。
ハッピーエンドではあるが、以下の教訓にあるように、作者が批判的なのがポイント。
この少年の真似をしようなど、夢にも考えてはならぬ。あなたがやれば、オオカミに喰われるか、村人達に袋叩きにされるか、どちらかで終わる。