豪快な踵落としを得意とした。
空手からK-1に挑戦。
ヘビー級としては小さく軽かった上に、初期は顔面パンチ有りのルールに中々馴染めず翻弄されていたが、精神的な向上やディフェンス技術の改善をし、1996年一気にGPで優勝し王者にまで登り詰める。その後97年・98年でもGPで決勝進出し3年連続ファイナリストになっている。
100kg以上である事が当然になっていったK-1において、180センチしかなく100kg以下の選手だったアンディ・フグが増量せずに成した事は大偉業であった。
創世期のK-1で、ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、マイク・ベルナルドの3人と共にK-1四天王と称された。
これからの活躍を期待されていたが白血病に倒れ、2000年8月24日に若くしてこの世を去った。