ソビエト流の可変翼戦闘機
目指すはSTOL戦闘機
元はMiG-21のVTOL試験機(MiG-21PD)からの発展として開発された。
開発の経緯は
『開戦一番の空襲で滑走路が使用不能になるから、滑走路ナシでも使える戦闘機』
という予想である。
(いくら予想とは言え、最初から空襲されるのを前提にするのはどうかと・・・)
当時はどこの国も熱心に取り組んでいたのだが、
ソビエトではSTOL[Short Take Off and Landing]機開発にも熱心に取り組んでいた。
STOLなら空襲で滑走路が破壊されても、残った部分で離着陸できるからである。
リフトエンジンを内蔵すると搭載燃料が少なくなるが、
それは戦場戦闘機としての運用で補える。
(前線近くの飛行場から発進し、近距離の制空や対地支援を行う)
最初の試験機はMiG-21から流用した主翼に、新設計の胴体の組み合わせだった。
ちなみに、この試験機「23-01」はダッソー・ミラージュそっくりである。
(おそらくデルタ翼やマッハコーンのせい)
リフトエンジンの敗北
しかし、リフトエンジンを内蔵するSTOL機はすぐに中止されてしまう。
「搭載量が少なく、また技術的にも問題がある」とのことである。
『世界の傑作機No.92 MiG-23/-27編』にも多く記されてはいないが、
問題はおそらくリフトエンジン絡みでは無かろうか。
(ちなみにwikiでは『機体重量と空間の限界や整備面』とある)
また胴体パイロンが使えず、搭載量が少なくなるのも問題だったようである。
23-01の飛行回数は14回。
航空ショーに出品されてまもなくの中止であった。
可変翼タイプの登場
「23-01」に続き、可変翼の「23-11」がロールアウトした。
時は1967年。「23-01」から遅れる事2ヶ月であった。
こちらは「23-01」程では無いにしても、離着陸距離は短めとなった。
パイロンは胴体と主翼の付け根の左右に計4箇所。それぞれ500kgまでを積めた。
この規格の原型機は4機製作され、
同じころに最初の生産型「MiG-23S」の生産準備も進められた。
MiG-23S
このMiG-23Sはレーダーが間に合わず、MiG-21からの流用で済まされている。
また新式の可変翼機構の強度が不足しており、5Gまでの荷重に制限された。
とても実戦に出せる代物ではないのだが、とりあえずの訓練用として生産された。
生産数は50機。
機首のレドームが細長いのが特徴。
MiG-23「エタロン1971」
「1971年規格」という意味である。
過渡期の暫定仕様であり、それで正式な末尾記号が振られなかったらしい。
主翼が新型となり、付け根にドッグツースがついた。
この主翼は7Gまで耐えるはずだったが、やはり可変機構の問題で3.5Gに制限されている。
レーダーはようやく正式の「サプフィル23」が搭載された。
それにより、武装に中距離ミサイル「R-23」(NATO名:AA-7「エイペックス」)
が追加された。
後部胴体にも燃料タンクが増設されたが、こちらも最大荷重3.5Gに制限されている。
やはり実戦には使えず、生産数は少数だといわれる。
本格生産型の登場
ようやく対策が終了したのが1972年、「MiG-23M」の登場である。
エンジンは改良型になり、そのために主翼と尾翼の間隔が広がった。
武装も新型のR-60(NATO名:AA-8「エイフェッド」)ミサイルが追加されている。
主翼の問題だった可変機構も改良され、8Gまで耐えるようになった。
1973年、輸出型「MiG-23MS」の生産も始まった。
当然いくつかの装備品が「格下げ」されており、
MiG-21のレーダー、MiG-23Sと同型のエンジンとされている。
1976年、本国用改良型「MiG-23ML」の生産開始。
それを受けて、1977年にはMiG-23Mと同規格の輸出型「MiG-23MF」が生産され始めた。
MiG-23M
上記のとおり、エンジンが新型となって胴体が延長された。
武装にR-60が追加され、初めての実戦型となった。
MiG-23MS
MiG-23Mの格下げ輸出型。
レーダーはMiG-21、エンジンはMiG-23Sとなっている他に、
赤外線スキャナーも外されている。
また、レーダーがMiG-21同様となっているので、R-23のレーダー誘導型が使用不能である。
MiG-23MF
MiG-23Mと同様。