Su-7に毛が生えた!
1967年、Su-17はドモデドヴォ空港での航空ショーで初めて公開された。
しかし西側関係者の反応は冷ややかだった。
『Su-7の主翼を一部だけ可変にしただけじゃないか!』
おおむねこの反応だった。ただの実験機と見られたのだ。
しかし、西側関係者のそんな思いをよそに、
この機はまったく予想外の長寿ぶりを発揮していくのである。
可変翼の効果
Su-17のベースとなったSu-7は、きつい後退角の主翼だった。
この主翼には『高速でのノリは良いのだが、低速とくに離着陸時に不安定になりやすい』
という欠点があった。
これを解決する為に、スホーイは当時新発見だった可変翼を採用した。
高速では今までどおりの後退角、
低速ならもっと浅い後退角にすればいいのだ。
これなら離着陸はもっと安定し、高速でもノリのいい主翼になる。
まさに『いいとこ取り』である。
しかし、実際はそう簡単な事ではなかった。
可変翼にすると前進・後退時それぞれで、機体前後のつりあいが変わってしまうのだ。
また、主翼が重いと回転させる軸も丈夫でなくてはいけない。
いざやろうとすると、問題は山積みになった。
すったもんだの議論の末、Su-17は主翼の外側3分の2を可変翼にすることにした。