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蘇我蝦夷の編集履歴2021/08/20 10:32:55 版
編集者:キャショー
編集内容:大友ではなく大伴。大伴は大臣でなく大連。他に毛人や蝦夷という名前の高官もいるので蔑称とは限らない

蘇我蝦夷

そがのえみし

飛鳥時代の豪族 宰相職の大臣(おおおみ)として政治を動かす 生没 586年? ― 645年7月11日 約59歳
  • 世没 586年? ― 645年7月11日 約59歳

飛鳥時代の豪族 宰相の大臣(おおおみ)として政治を動かす

蘇我氏は蘇我稲目以来大臣職を独占してきた。

推古天皇崩御時、後継について叔父の境部摩理勢と対立し、これを殺害する。

蝦夷の子の蘇我入鹿は、山背大兄王を襲って上宮王家一家を自殺に追いこんだ。

蝦夷はこの入鹿の行為を怒り、嘆いたと伝えている。

皇極天皇4年(645年)に大君の御前で入鹿が殺されると、蝦夷のもとに与する者が集まったが、蝦夷は邸宅に火をかけ自害したという

乙巳の変という)

蝦夷が家ごと歴史書を燃やしてしまったことにより飛鳥時代前半の詳しいことがよく解からない。

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