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弩爾哈赤の編集履歴

2012/01/11 17:53:02 版

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ヌルハチ

后金国(後金国)1616年 - 1636年(20年)
后金帝爵は「金国君主カン)」
漢字中国語読み
名前(追尊)愛新覚羅弩爾哈赤(天命帝)
アイシンギョロ・ヌルハーチヌルハチタクシ(塔克世)の子
元号天命テンミェン
誕生1559221明朝 嘉靖38年)
崩御1926年9月30日(天命10年)
享年67歳
在位后金君主10年(汗)即位1616年2月17日 - 1626年9月21日(57歳 - 67歳)
諡号(皇帝の本名にあたる)承天広運聖徳神功肇紀立極仁孝睿武端毅欽安弘文定業高皇帝(略高皇帝
廟号太祖タイゾ
陵墓東陵福陵

大清帝国の皇祖として

廟号太祖

諡号は高皇帝(略)

  • なお、明の文献では童奴兒哈赤あるいは佟奴兒哈赤、朝鮮の文献では老乙可赤あるいは奴兒哈赤、清の文献では弩爾哈齊あるいは弩爾哈奇と記載されている。
  • タクシ(塔克世)の子  ヌルハチの祖父と父が、李成梁に従って戦ったが、明軍に誤殺された。そのため建州左衛都指揮使を継いだ。李成梁のはからいで明の左都督・龍虎将軍となる、
  • 海西女真の内紛により力をつけ、万暦十七年(1589)には建州女真五部を統一した海西女真のハダ部・ホイファ部・ウラ部を次々と征服した。
  • 万暦四十四年(1616)、ヘトゥアラハーン位に就き、国号を大金とした(後金、アイシン・グルン) サルフの戦いで明軍に大勝 海西女真最強のイェヘ部も平定。
  • 天命六年(1621)には瀋陽・遼陽を落とし、天命十年(1625)には瀋陽に遷都して盛京と改名。寧遠を攻撃して明の将軍の袁崇煥のために敗退し、そのとき受けた砲弾による負傷がもとで死去

享年67

関連タグ

ヌルハチ 愛新覚羅

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