1966年4月30日生まれ、父チャイナロック母ミチアサ。通算36戦13勝。
1968年デビュー、1969年セントライト記念前まで4勝を挙げる、セントライト記念で重賞初制覇、夏の上り馬の代名詞的存在だったがアカネテンリュウ以前に前例があるわけがなく7番人気であった。
菊花賞4馬身差で圧勝(2着は翌年の天皇賞馬リキエイカン)GI初制覇、有馬記念でスピードシンボリの2着。
1970年AJC杯2着、目黒記念春6着、春の天皇賞1番人気だったが5着、夏から秋にかけて日本経済賞を含む4連勝したが、秋の天皇賞またも1番人気だったが(勝ったのはメジロアサマ)3着、有馬記念スピードシンボリの前に2年連続2着。
1971年AJC杯で重賞4勝、オールカマー5着、目黒記念で重賞5勝、秋の天皇賞3度1番人気だったが10着、有馬記念は出走取り消し。
1972年中山記念2着、東京新聞杯で重賞6勝、春の天皇賞3着後に引退。
1985年1月、永眠。