史実における小野妹子
飛鳥時代の政治家。近江国滋賀郡小野村(現在の滋賀県大津市)の豪族出身であり、平安時代の学者として知られる小野篁(おのの・たかむら)の先祖に当たる。
生年は記録がなく未詳。事蹟も聖徳太子の命により、推古天皇15(607)年に「遣隋使」として隋(現在の中国)に送られ、国書を手渡して使者の裴世清(はい・せいせい)と共に帰国、翌年返書と裴の帰国に随伴のため再び渡ったことしか伝わっていない。しかし日本側の記録にはっきりと残る遣隋使の第一号であることから、その名が広く知られている。
歿年・享年共に未詳であるが、墓は上司である聖徳太子の眠る河内国石川郡磯長(しなが、現在の大阪府南河内郡太子町)の科長神社(しながじんじゃ)の社頭にあると伝えられている。
なお隋からの帰国の際、国書を紛失して一時流罪になった記録も残っている。下記の『ギャグマンガ日和』では駄目上司・聖徳太子のつっこみ役の彼だが、結構太子のことを笑えないへまである。
漫画における小野妹子
現時点で、ネット上でもっとも知られているのは、
集英社 ジャンプSQ.「増田こうすけ劇場ギャグマンガ日和」の小野妹子だと思われる。
作中では、ボケ役であるバカな聖徳太子にツッコむ役である。
基本的にまじめ。
たまにどうしたんだと思ってしまう行動をとることがあるらしいが、まぁまじめである。
聖徳太子にノースリーブの赤ジャージの着用を強制されて、
ほかの朝廷の人は着用していないのにもかかわらず、しぶしぶ着用するくらいまじめである。
空腹になると思考能力が低下して、よく分からない事を言いだす傾向がある。
(第3幕、第232幕より)
pixivでは他にも「マンガ日本史」や小説「爆撃聖徳太子」の小野妹子(蘇因高)などが見られる。
とりあえず言えるのは3作品とも小野妹子が苦労人だということ。