概要
兵庫県の中央部を流れる加古川に沿って山陽本線と福知山線を結んでいるが、パークアンドライドの普及とともに、神戸市や大阪市への通勤輸送が増加する一方、地域輸送も担っており、朝夕は特に混雑が激しい。
1995年に発生した阪神・淡路大震災の際には、東海道・山陽本線(JR神戸線)の迂回路の役割を果たした。しかし単線非電化であったことから迂回路としての機能強化を求める声が起き、2004年12月19日には全線が直流電化された。
全線が旅客営業規則の定める「大阪近郊区間」に含まれている。
ラインカラーは青緑で、車体色や駅名標でも使用されているが、神戸支社が管轄していたときの独自のものでアーバンネットワークのラインカラーではなく、運賃表では灰色で表記されており、福知山支社が管轄する谷川駅の駅名標は加古川線も含めてコーポレートカラーになっている。
路線データ
●管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
●路線距離(営業キロ):48.5km
●軌間:1067mm
●駅数:21(起終点駅含む)
●加古川線所属駅に限定した場合、山陽本線所属の加古川駅、福知山線所属の谷川駅が除外され、19駅となる。
●複線区間:なし(全線単線)
●電化区間:全線(直流1500V)
●閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
●運転指令所:大阪総合指令所加古川指令所
●最高速度:85km/h
加古川駅 - 久下村駅間は近畿統括本部、谷川駅付近は福知山支社の管轄である。谷川駅の場内信号機と篠山川橋梁の間にある道路との立体交差の久下村駅寄り(加古川駅起点で47.8km地点)に境界標が設けられている。
運行形態
全線を通して運転される列車は下りの1日1本のみであり、厄神駅と西脇市駅を境に運転系統が分かれている。ただし、全線を直通する列車も西脇市駅で列車番号が変わる。
日中時間帯は加古川駅 - 厄神駅間と加古川駅 - 西脇市駅間の列車が交互に運行されており、1時間あたり加古川駅 - 厄神駅間で2本、厄神駅 - 西脇市駅間で1本運行されている。加古川駅 - 粟生駅間の区間運転列車も平日の朝夕に4往復設定されている。西脇市駅 - 谷川駅間は1日9往復(土曜・休日は8往復)が運行されており、他の区間より運転本数が少なく3時間ほど運行がない時間帯がある。
2010年度までは4・8・12月以外の第4土曜日に保守工事のため厄神駅 - 谷川駅間で日中の列車が運休していたが、2011年度からは取り止めとなっている。
全線で全列車がワンマン運転を実施し、全列車のドアは、半自動となっている。
車両の夜間滞泊は厄神駅と西脇市駅で行われており、朝・夜には厄神駅 - 西脇市駅間に回送列車が1往復設定されている。1999年3月12日までは加古川駅で夜間滞泊を行っていた。
歌声列車
年に数回、貸切列車として車内で生バンド演奏に合わせて童謡や唱歌などを乗客が合唱する「歌声列車」が運行されている。
阪神・淡路大震災の迂回路として
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、JR神戸線が寸断され、播但線とともに、迂回路線として非常に重要な役割を果たした。
加古川線は播但線よりも迂回距離・所要時間も短いが、ワンマン運転が主体の線区で列車の行き違いにより編成両数が制限されること、および谷川駅の福知山線と加古川線を結ぶ構内配線が非常用の分岐器しかないことから福知山線への直通運転ができず、線内列車の増発および増結で対応した。加古川線では西脇市駅で運行形態が分かれており、西脇市駅で乗り換えが必要であったが、乗り換えを解消して直通列車を設定し、震災前に9本しかなかった直通列車は2月6日には45本に増加し、ほとんどの列車で直通運転が行われた。また加古川駅 - 谷川駅間で快速も運転された。
使用車両
現在使用されている車両はすべて電車で、125系および103系(3550番台)で運転されている。西脇市駅を境に、南北それぞれの区間で需要に大きな差があり、加古川駅 - 西脇市駅間には2両や4両編成が必要になることから103系が優先的に使用されており、需要が格段に少なくなる西脇市駅 - 谷川駅間には、当線の電化に合わせて製造された1両で運行可能な125系が全列車で使用されている。そのため、125系の運行は加古川駅 - 西脇市駅間では本数が少なくなっているが、加古川駅 - 厄神駅折り返しに使用されている。朝ラッシュ時には125系による3両編成運行もある。
後述のラッピング車以外の103系の塗色は、かつて走っていた常磐線の103系と同じ青緑1号である。
横尾忠則のラッピング列車
2004年12月19日の電化時から、103系に横尾忠則がデザインしたラッピング電車が運行されており、2007年6月には4本目となる列車の運行が開始された。2010年5月15日から車両の全般検査のため順次運用を終了する。各編成の運転開始日・終了予定日・テーマは次の通り。
●眼のある電車「見る見る速い」:2004年12月19日 - 2011年5月15日
●「銀河の旅」:2005年12月18日 - 2011年6月19日 …電化1周年記念
●「滝の音、電車の音」:2006年3月12日 - 2011年10月10日 …加東市発足記念
●「走れ!Y字路」:2007年6月10日 - 2012年度(予定) …西脇市の夜のY字路がモデル
現車に施された4種類のラッピング以外にさらに2種類ラッピング案が存在していたが、諸般の事情により採用されなかった。
過去の車両
加古川機関区所属のキハ20形などの気動車が使用されるとともに、同区所属のC12形蒸気機関車を牽引機として貨物列車が運行された。蒸気機関車は1972年3月で運用を終了した。
蒸気機関車の運用終了後、キハ37形やキハ30・35形、キハ23形、キハ40・47形が投入される。国鉄分割民営化直前には、車両転属により加古川気動車区から姫路機関区へ籍を移している。
分割民営化後はキハ40・47形の転入によって他形式の気動車は運用を外れ、1999年にキハ37形が運用を離脱した後はキハ40・47形のみで運用されるようになる。
2004年12月に電化され、当路線で使用されていた気動車は、JR西日本のほかの非電化路線へ運用の場を移している。
歴史
加古川水系の舟運を代替する目的で設立された播州鉄道と、その路線を譲り受けた播丹鉄道(播但線の前身である播但鉄道とは別)が開業させた路線を、戦時買収したものである。そのため、同じ播丹鉄道に属していた支線の高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線とは密接な関係があり、高砂線を除いてほぼ一体となった運行形態であったが、そのすべてが特定地方交通線として廃止・転換され、本路線のみがJR線として残っている。
播州鉄道は加古川およびその支流で行われていた舟運を鉄道に代替する目的で路線を敷設したため、加古川線の各駅は物流拠点付近に設置されており、集落から離れた場所であることが多い。旅客の流動に合わない路線設定ゆえに旅客需要は伸び悩んでおり、各支線への直通列車も多かったが乗客は少なかった。ただし西脇市については、鍛冶屋線西脇駅が中心市街地至近に立地していたため同駅の利用は多く、加古川線の多くの列車が鍛冶屋線へ直通し西脇駅発着となっていた。
国鉄の、いわゆる赤字ローカル線廃止策によって各支線との直通がなくなり、また実質的本線区間であり需要の大きかった野村駅(現在の西脇市駅) - 西脇駅間も失ったことから利用者は減り続けた。民営化後には通勤利用を狙って朝ラッシュ時間帯に加古川行きの快速列車を設定したりとテコ入れがなされたが、充分な効果が得られず快速列車も数年で取りやめになるなど明るい話題に乏しかった(快速列車自体は、国鉄時代にも需要の少ない駅を通過する形態で日中に運行されていた)。さらには大阪・神戸方面への需要に対しては、直通列車がないこともあり西脇市内や滝野・社地区の市街側から発着する高速バス(大阪駅発着の中国ハイウェイバスと三宮駅発着の西脇方面の急行バス)に圧倒されていた。
1995年の阪神・淡路大震災の際には、播但線などとともに寸断された山陽本線の迂回路の役割を果たした。谷川駅の1日の乗り換え客が8,500人に達するほどであったという。しかし単線非電化であったことから迂回路としての機能強化を求める声が起き、2001年10月には、加古川線電化をおこなうことがJR西日本から発表された。2004年12月19日には全線が電化され、125系や103系電車が走るようになった。総事業費は約60億円で、うち45億円をJR西日本や兵庫県などの沿線自治体が負担し、残る15億円を沿線地域での募金などにより民間が負担した。
年表
播州鉄道・播丹鉄道
●1913年(大正2年) 4月1日:播州鉄道 加古川町駅 - 国包駅(初代、現在の厄神駅)間(4.7M≒7.56km)開業。加古川町駅・日岡駅・神野停留場・国包駅が開業。
●8月10日:国包駅 - (野村) - 西脇駅間延伸開業。国包駅 - 野村駅(この時点では未開業)間は14.8M(≒23.82km)。現在の加古川線にあたる区間に市場停留場・小野町駅・粟生駅・河合西停留場・大門口駅(現在の青野ケ原駅)・社口駅(現在の社町駅)・仮滝野駅(現在の滝駅)が開業。
●8月28日:仮滝野駅が停留所に変更され、滝停留場に改称。
●9月1日:滝野駅が開業。
●10月22日:野村駅(現在の西脇市駅)が開業。
●11月10日:市場停留場が駅に変更。
●1914年(大正3年) 1月1日:滝停留場の営業が休止。
●5月1日:滝停留場の営業が再開。
●1915年(大正4年)5月14日:加古川町駅が国有鉄道加古川駅に統合(公示日)。
●1916年(大正5年) 2月4日:粟島停留場が開業。
●10月6日:河合西停留場が駅に変更。
●10月21日:播鉄中津停留場・釣橋駅が開業。
●11月22日:国包駅(初代)が厄神駅に、大門口駅が播鉄大門駅に、社口駅が播鉄社駅に、滝野駅が播鉄滝野駅に改称。
●1921年(大正10年)5月9日:播鉄中津停留場・粟島停留場が休止。釣橋駅の旅客営業が廃止され、貨物駅になる。滝停留場が臨時停留場に変更。
●1923年(大正12年)12月21日:播丹鉄道に譲渡。
●1924年(大正13年)12月27日:野村駅 - 谷川駅間(10.7M≒17.22km)が延伸開業し、現在の加古川線が全通。比延駅・黒田庄駅・本黒田駅・船町口停留場・久下村駅が開業。
●1925年(大正14年) 4月28日:河合西駅が停留場に変更。
●10月1日:新西脇停留場が開業。
●1926年(大正15年)10月21日:喜多駅が開業。
●1929年(昭和4年)8月23日:神野停留場が駅に変更。
●1930年(昭和5年)4月1日:営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(30.2M→48.8km)。
●1931年(昭和6年)2月9日:釣橋駅が停留場に変更。
●1934年(昭和9年)4月5日:休止中の播鉄中津停留場・粟島停留場が廃止。
●1937年(昭和12年)3月24日:釣橋停留場が駅に変更。
国有化後
●1943年(昭和18年)6月1日:播丹鉄道が国有化され、加古川線となる。全線改キロ、0.3km短縮。停留場・臨時停留場が駅に変更。播鉄大門駅が青野ケ原駅に、播鉄社駅が社町駅に、播鉄滝野駅が滝野駅に改称。釣橋駅・喜多駅が廃止。
●1958年(昭和33年) 6月10日:全列車が気動車に統一[7]。
●11月1日:経営改善を目的に、加古川線管理所が設置される[8]。
●1970年(昭和45年)4月1日:加古川線管理所が廃止される[8]。
●1972年(昭和47年)3月15日:蒸気機関車が廃止され無煙化。
●1985年(昭和60年)7月15日:臨時駅として日本へそ公園駅が開業。
●1986年(昭和61年)11月1日:貨物営業が廃止。
西日本旅客鉄道
●1987年(昭和62年) 4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。
●12月23日:日本へそ公園駅が通年営業となる。
●1989年(平成元年)8月1日:野村駅 - 谷川駅間でワンマン運転開始[9]。
●1990年(平成2年) 4月1日:鍛冶屋線廃止に伴い、野村駅が西脇市駅に改称。
●6月1日:鉄道部制度に伴い、第1次鉄道部として加古川鉄道部が発足し、同線を管轄するようになる。加古川駅 - 西脇市駅間でワンマン運転開始[9]。
●10月1日:全線で光方式電子閉塞装置が導入[10]。
●1999年(平成11年)8月 - 2001年3月:日岡駅 - 厄神駅間においてバリス式列車検知形閉塞装置 (COMBAT) の試験を実施。
●2001年(平成13年)3月3日:運行本数の削減および保守工事による列車運休が導入。
●2004年(平成16年) 4月25日:列車集中制御装置 (CTC) が導入。
●12月19日:全線が電化。同時に加古川駅 - 日岡駅間0.9kmおよび加古川駅が高架化。
●2009年(平成21年)7月1日:加古川鉄道部が廃止され神戸支社の直轄になる。谷川駅をのぞく各駅は加古川駅の管理下となる。
●2010年(平成22年)12月1日:組織改正により、神戸支社が管轄していた区間を近畿統括本部の管轄に変更。
●2011年(平成23年)4月1日:保守工事による列車運休が中止。
駅一覧
全列車普通列車(全駅に停車)
加古川駅-日岡駅-神野駅-厄神駅-市場駅-小野町駅-粟生駅-河合西駅-青野ケ原駅-社町駅-滝野駅-滝駅-西脇市駅-新西脇駅-比延駅-日本へそ公園駅-黒田庄駅-本黒田駅-船町口駅-久下村駅-谷川駅
中間駅のうち、神野駅・厄神駅・粟生駅・西脇市駅の4駅がジェイアール西日本交通サービスによる業務委託駅であり、それ以外の各駅は無人駅である。中間駅には直営駅は存在しない。
日岡駅 - 神野駅間で新駅設置の構想がある。
接続路線
●加古川駅:西日本旅客鉄道山陽本線(JR神戸線)
●粟生駅:北条鉄道北条線、神戸電鉄粟生線
●谷川駅:西日本旅客鉄道福知山線
廃駅
( )内は加古川駅起点の営業キロ。
●播鉄中津停留場:1921年休止、加古川駅-日岡駅間(約1.2km)
●釣橋駅:1943年廃止、日岡駅-神野駅間(3.7km)
●粟島停留場:1921年休止、粟生駅-河合西駅間
●喜多駅:1943年廃止、黒田庄駅-本黒田駅間(39.2km)
[過去の接続路線 編集]
●加古川駅:高砂線
●厄神駅:三木鉄道三木線
●野村駅(現在の西脇市駅):鍛冶屋線