概要
物事の結果を後から論じる議論。
通常の議論は、最善の結果を生むために過程を論じるものだが、結果論は逆に結果が分かった後で過程を論じる。
しかし、後になってから「ああすれば良かった」と語ることは誰にでもできる上、そもそも議論の時点で物事が完結しているため、有益な結論を生むことは無い。
言ってしまえば、全くもって無意味な議論なのである。
例えば、歴史の授業などで「こうしたから戦争に負けた」「こうしたから事件が起きた」と教えることは多いが、そのような発言を実現することはタイムマシンでもない限り不可能であり、仮に実現できたとしても結果が変わったかどうかは誰にも分からない。
いくら議論が白熱したところで、その先には当人たちの自己満足以外に何も待っていないのである。
また、相談されるのが下手な人間にありがちだが、結果が出れば言っていること自体は正しい上に、相談を受ける側は心理的に優位に立っているために反論しづらいために、その後のリカバリーよりも相談される側が論破する方向で話を展開してしまうと言う過ちを犯しがちである。しかも、これは頭が良くても解決に至らないために起こりやすい。
大切なのは結果ではなく、その結果をどう次につなげるかを論じることである。
関連項目
結果 議論 無意味 コメンテーター 評論家 一言居士 承認欲求モンスター 意識高い系
ワイドショー:毎日のように結果論で白熱している。
麻雀:どれだけ確率論に沿ったプレイイングでも、結局は運や雑なプレイイングに敗退するゲーム。
便所の落書き:同上。