マリア・ミンチン
まりあみんちん
概要
CV:中西妙子
ミンチン学院の経営者。原作では『ミンチン女史神聖女子学校』。この名前からキリスト教系のミッションスクールである事が解る。同学院の教師の一人に妹のアメリア・ミンチンがいる。
なお原作者のフランシス・ホジソン・バーネットが原作小説を執筆したのは奇しくも彼女がイギリスからアメリカに移住してからの話で彼女が執筆した当時はまさに西部開拓時代であったと言う。一時期イギリスに戻った時期もあったが結局はアメリカでの生活を選んだ。
それ故にミンチン院長の性格は当時のアメリカ人の性質が大きく反映されている。
幼少時代に貧困生活を送っていたためか金銭への執着心が強く強欲かつ頑固な性格で、支援目当てでセーラを特別扱いしていた頃からセーラに好意を持っていなかった。セーラの父ラルフがインドのダイヤモンド鉱山で病死し、更にその鉱山にはダイヤモンドが見つからず事業が失敗してセーラが無一文になったと知るや否や途端に手のひらを返してセーラを使用人の身に落とし、食事すらろくに与えず奴隷さながらに無給でこき使うようになった(妹のアメリアはセーラを使用人として扱き使うのをあまりよく思わなかったが、姉に逆らえずにいた)。
もっとも原作ではセーラの一般人とはちょっと異なる精神性のために彼女もあのような手段を取らざるを得なかったというのが本当の所のようである。
さらにアニメでは決して言わないであろうエピソードを紹介しよう。
アルフレッド大王の話をしていてセーラがミンチン院長に殴られた時、セーラは少し笑いました。ミンチン院長はセーラがなぜ笑ったのかを問いただすと、セーラはこう言ったのです。「先生はご自分が何をしたのかわかっていられないのだ、と考えておりました。それから、もし私が公女様で、その私の耳を先生が打ったとしたらどうなるか… 私がどうするか、という事を考えていました。それから、もし私が公女様であったら、私がどんな事をしたり言ったりしても、先生は決してあんな事をしなかっただろうと考えていました」
セーラに対して無関心に接する事も多く、積極的にイジメを行うラビニアよりは比較的マシ。ラビニアがセーラを専用メイドにしようとした時には、さすがに引いた素振りを見せて拒否権を与えている。また、ラビニアの父がラビニアの傲慢に制裁を加えて専用メイドを撤回させた際には笑顔を浮かべて頷いていた。そんな一面もありつつも回を追う毎にセーラに対する仕打ちは次第にエスカレートしていくが、物語終盤においてセーラの父の友人トム・クリスフォードによってダイヤモンドが見つかり、セーラにその半分を譲ろうとした(クリスフォードは独身だったため、彼が亡くなった後は残りの資産をセーラに譲る考えもしていた)ため再びセーラは裕福となり、それを知った彼女はショックを受ける。更に学院に戻った後に全てを知ったアメリアから自らの非道な行いが全てを台無しにした事を罵倒され号泣した。
彼女についてフォローを入れておくと原作の『小公女』においては、そもそもセーラ自身がその性格に大いに問題がある少女として描かれている。そのため言い合いの末にこういう形を取らざるを得なかった経緯が描かれている。
その後学院は廃校となり、路頭に迷う、派生派映画版や漫画版、他のアニメ版などの小公女では、追放、小間使いなどの結末、を迎えるがアニメの方では彼女を許したセーラから学院に10万ポンドの寄付を受け廃校の危機は免れた。
そして最後はインドに旅立つセーラを見送ったのだった。
姉よ、どうしてそこまで経営に拘るのか?
過去、両親に先立たれ、恐怖の西部開拓時代全盛期に妹を守る為に必死に労働に打ち込み、資金を得ながら妹を大学に進学させて姉妹で教職を手にし、苦労の末ミンチン寄宿女子学院を設立したという苦労人だった(※)。
なお彼女の性質は原作者の環境にも大きく影響していたとされる。
(多くの苦労をしながら自分を育ててくれた姉のため、副院長のアメリアは強く出ることができなかったという)
※だからといって突然親を亡くして困窮している、しかも年端もいかない子供に理不尽な仕打ちをすることを正当化する理由になどなるはずもない、と思うであろうが原作ではミンチンは彼女なりの解決策を提案しているのにも関わらずセーラはそれを断っている。
またミンチン院長の生い立ちは原作小説を読めば解るが正に西部を生きた強き女性そのもの。
小話
セーラに対する苛烈ないじめをした一人であったことから、演じた中西妙子氏は視聴者から批判や嫌がらせを受けた。剃刀入りの手紙を送りつけられるという事件が発生したため、中西氏は『もう、ミンチン院長のような役は演じたくないなぁ』と語ったという(ラビニアを演じた山田栄子氏も同じような被害を受けたらしい)