劇団民藝、青二プロダクションを経て現在はフリー。
概要
13歳の時に、出身地である広島で被爆し、原爆をテーマにしたアニメ作品に出演、また広島弁の指導にもあたっていた。声優業の創成期から活動しており、外画の吹替や多くのテレビアニメに出演した。
世界名作劇場
中西は世界名作劇場では出演の常連だった。特に1985年に放映された「小公女セーラ」のマリア・ミンチン院長役は代表作の一つである。だが同作ではミンチンのセーラにいじめが苛烈を極めており、ミンチンと同じくいじめっ子であったラビニアに非難が集中した。そのせいで中西とラビニア役の山田栄子に対しても視聴者からの嫌がらせが来る事件にまで発展した。中西も自身の親友から「あなたがこんなことする人だとは思わなかった」と言われてしまい、精神的にかなり参っていたという。最終回の収録終了後山田と共に「こんな役はもう二度とやりたくない。」と漏らしていたという。
一方で昭和天皇がご覧になったと明かされた時は山田と共に驚きを見せ自身を取り戻したエピソードがある。