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フランシス・ホジソン・バーネット

ふらんしすほじそんばーねっと

児童文学作家として著名なアメリカの小説家。代表作は「小公子」「小公女」「秘密の花園」など。
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概要編集

フランシス・イライザ・ホジソン・バーネット(Frances Eliza Hodgson Burnett)は、児童文学作家として著名なアメリカの小説家

別名フランシス・イライザ・バーネット(Frances Eliza Burnett)、フランシス・ホジソン・バーネット(Frances Hodgson Burnett)、またはバーネット夫人(Mrs. Burnett)の名でも知られる。

『Eliza』はエリザとも呼ばれる。


生没:1849年11月24日〜1924年10月29日。



生涯編集

イギリス・マンチェスターの裕福な貿易商の出だが4歳の時に父を亡くし、アメリカ南北戦争(1861〜65年)の煽りを食い、家業のホジソン商会が立ち行かなくなる。

1865年の16歳の時に生地を離れ、母方の伯父を頼ってアメリカのテネシー州に一家で移住する。

5人兄妹の長女であったフランシスは、まもなく家計の扶けとなるよう小説を書き始め、出版社へと自作を売り込む。


1868年、19世紀アメリカで最も人気を博した女性誌『ゴーディズ・レディーズ・ブック』(Godey's Lady's Book)に、『心とダイヤモンド』(Hearts and Diamonds)が掲載され、作家としてデビューする。

1870年には母が死去。

1873年に眼科医のスワン・バーネット(Swan Burnett)と結婚し、二児の男子をもうける。

長男のライオネルは成人前に結核で早逝するものの、次男ヴィヴィアンは後に『小公子』(Little Lord Fauntleroy)のモデルとなる。次男を出産したパリには、夫のフランス留学に連れ立っていた。

1877年の『ローリィんとこの娘っこ』(That Lass O'Lowrie's’)の発表を第一歩とし、本格的に作家活動に打ち込む。この頃にアメリカに帰国。


1879年に『若草物語』(Little Women)の作者ルイーザ・メイ・オルコットと出会い、それを契機に児童文学の執筆を始める。

南北戦争を体験したオルコットと同様に、フランシス・ホジソン・バーネットもまた、戦争の影響による綿花飢饉を少女期にイギリスで経験していた。

1886年、18作目となる『小公子』がアメリカの児童雑誌を代表する『セント・ニコラス』(St. Nicholas)に掲載され、同作が単行本化するとたちまち50万部を売り上げ一躍ベストセラー作家となる。

1887年、自身をモデルにした『セーラ・クルー』(Sara Crewe)を発表。1905年に改題・改稿した『小公女』(A Little Princess)が出版されると、世界的な作家として名を高めていく。

これ以降はイギリスに住居を持ちつつ、アメリカやイタリアでも過ごしながら行き来をする。


1898年にスワン・バーネットと離婚してからはイギリスのケント州を拠点に生活し、1900年には11歳年下のスティーブン・タウンゼンド(Stephen Townesend)と再婚するが2年後に破局。

1905年にアメリカの市民権を取得し、晴れてアメリカ市民となる。

1908年にはニューヨーク州ロングアイランドのプランドームに邸宅を建て、第一次世界大戦目前の1914年からは居住地をアメリカに定める。


以後は同地にて暮らし、1924年10月29日に74歳で逝去。遺作はプランドームでの日々を綴った『庭にて』(In The Garden)。

生涯を通じ数多くの通俗小説を執筆したが、現存する著書は限られた児童文学作品とエッセイのみとなっている。



主な著作編集

  • 『Hearts and Diamonds』(心とダイヤモンド)

1868年に発表された処女作。当時のアメリカで最も人気のある女性誌『ゴーディズ・レディーズ・ブック』にて掲載。


  • 『That Lass O'Lowrie's’』(ローリィんとこの娘っこ、ローリィ家の娘)

1877年に発表された初の長編作品。フランシス・ホジソン・バーネットが作家として世に認められるきっかけを作る。


  • 『Little Lord Fauntleroy』(リトル・ロード・フォントルロイ / 小さなフォントルロイ卿):邦題は『小公子

1886年に発表。児童雑誌『セント・ニコラス』に掲載されたことから母親世代を中心に好評を博し、単行本は50万部のベストセラーとなる。

1888年にはロンドンやアメリカのブロードウェイで上演される。

その後何度となく英米で映画化・ドラマ化もされ、日本では1988年にフジテレビの『世界名作劇場』でアニメ版の『小公子セディ』が放映された。


  • 『Sara Crewe, or What Happened at Miss Minchin's』(セーラ・クルー、またはミンチン学院で何が起きたか)
    • 『A Little Princess』:邦題は『小公女

1887年12月から1888年1月まで『セント・ニコラス』誌で連載され、同年に単行本が出版。

1905年の再版で『Sara Crewe』から『A Little Princess』へと改題し、大幅に加筆されて出版し直される。

『小公子』と同様に英米で映画化・ドラマ化され、日本ではアニメ版が1978年にTBS系列の『まんが世界昔ばなし』にて『小公女セーラ』、1985年に世界名作劇場にて『小公女セーラ』が放映されている。

2009年には現代日本に舞台を変え、TBS系列でドラマ版の『小公女セイラ』が放映された。


1911年に発表。一時期居住していたイギリス・ケント州の『メイサム・ホール』という屋敷がモデルになっている。

生前には発行当初しか評価されず、20世紀半ばを過ぎてから再び注目を浴びる。現在ではフランシス・ホジソン・バーネットの最高傑作との呼び声が高い。

やはり英米で舞台化・映画化・ドラマ化されており、日本では1991年にNHKで『アニメひみつの花園』が放映された他に、これまで様々に舞台化もされている。


  • 『The Lost Prince』:邦題は『消えた王子』

1915年に発表。

かつて消息を絶った王子の血筋に希望を託し、ヨーロッパ全土を股にかけて少年2人が命がけで旅する物語。

日本では長らく翻訳されずにいたが、2010年に邦訳版が刊行された。


  • 『The White People』:邦題は『白い人たち』、または『白い人びと』

1917年に発表された幻想文学作品。

白い人が見える少女と、彼女が暮らすスコットランドの地を神秘的に描く物語。

日本では2002年と2005年(同著の新装版)、2013年に邦訳版が刊行されている。



余談編集

  • フランシス・バーネット:本項のフランシス・ホジソン・バーネットが名前の由来であるバラ。

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