ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

隼源史の編集履歴

2023-03-06 11:43:23 バージョン

隼源史

はやぶさげんじ

日本の空手家で、通称「平成の仙人」と呼ばれていた人物。

概要

独特な風貌と森の中に居を構え修行に明け暮れる様から「平成の仙人」と呼ばれていた空手家。平成中期頃のバラエティ番組にたまに取り上げられていた。また「人生を語ろう会」なる会の会長を務めたり、「身体と精神のバランスが崩れかけている世俗の人々のために、仙人がいろいろと知恵をお貸しいたしょう」(公式HPより引用)という名目で「里の森学校」という施設を運営していた。竜爪術、円明流ヌンチャク道の使い手。女弟子には天空拳を伝授した。


経歴

1940年代初め頃※1に生まれる。

1963年(昭和38年)に結婚し子供を二人もうけたが、1979年(昭和54年)に離婚。

1980年(昭和55年)に大塚剛氏率いる「プロ空手」に入団。すぐに「プロ空手家」としてデビュー。

1981年(昭和56年)に大阪の梅田コマ劇場で行われた「島倉千代子ショー」で、島倉さんの相手役として一ヶ月間公演。また同年には当時の内閣総理大臣中曽根康弘より「プロスポーツ新人賞」を受賞している。

1983年(昭和58年)「プロ空手」が解散し、以後ヌンチャクアクションショーで全国を行脚しながら、修行をはじめる。本人のプロフィールによればトラックの運転手などをしたり廃車で寝泊まりした事もあったと言う。

1994年(平成6年)現在の愛知県豊田市の里山に入山。本格的に仙人生活を追究しサバイバル術を活かし「円明流ヌンチャク道」を確立させる。

時期不明(2008年、平成20年前後か)自分の住む森に「里の森学校」を設立。


現在(2023年時点)では「高齢と病気の為」引退したとされる。


言葉

「武道は己の為にあらず」

「武道は戦わずして勝つ」


その他

・ヌンチャク捌きは超一流であり、テレビ番組ではヌンチャクで瓶を割らず栓を抜くという離れ業を披露していた。

・多くの芸能人からも「ヌンチャクを教えて欲しい」と”弟子入り”を申し込まれたこともあったという。千葉真一がその一人との事だが真偽不明。

・里の森学校の施設の一つ「仙人道場」には宿泊も出来たらしい。

・住んでいる山の豊富な竹を活かした”竹マシーン”などの竹製品を開発し販売していた。

竹製品の販売も行う。

・仙人として生きる一方、普通に携帯電話を所持していたり(充電の為に山を下り喫茶店に入っている様子がテレビ放送された)、更にとある方が廃墟になった仙人道場を調査した際、自転車に跨る写真が発見されたり、冷蔵庫やガスコンロ等文明の利器が多く設置されていたり、蚊に悩まされていたであろう証拠の大量の殺虫剤スプレーの空き缶が見つかったりと、かなり人間臭い部分も持っていた。

・怪しい部分もあったが基本的には気さくな人柄で、道場内には受講生達のお礼の言葉が書かれた手紙や竹簡が多数飾られていた事から人望も厚かった事が窺える。


現在

仙人こと隼源史氏は「高齢と病気の為引退」し2023年時点では消息不明となっている。

運営していた里の森学校も現在は事実上の閉鎖状態であり、

仙人道場を含めた一帯の施設は2023年時点で全て廃墟化し荒れ果ててしまっている。

詳細な閉鎖時期は不明だが先述の方の調査の際、廃墟化した道場内に残されていたカレンダーが2015年5月で止まっていた事から少なくともその時期までは運営されていたと思われる。



外部リンク

http://heiseisennin.web.fc2.com/ 仙人の庵

公式ホームページ。

現在は更新が完全に止まっている。


※1 2010年頃放送のバラエティ番組に出演していた際に68歳と紹介されていた

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました