概要
この立場の者はたとえ元被害者であっても同情こそすれ許される立場にあらず、被害者や世間からどんな制裁を受けてもどんなに不遇な立場にされても、どんな裏切りや嫌がらせを受けても決して文句を言ってはいけない。
彼らから許されるまでひたすら努力をし続けるしかない。
間違ってもこの制裁はやりすぎだなどと言ってはいけない。
危害を加えた側であるため、危害を加えられ続けるのは当然なのであり、それに文句を言った時点で反省していないと見なされる場合が多いのである。
というか、そもそも論として、加害者は敵なので、加害者の話を聞く必要が全くない。
人権を尊重するかどうか、加害者に同情するかどうかを決めるのも被害者と世間。
そもそも、加害者自身が被害者の味方をしていないのに、いざ自分が責められる立場になった途端に世間に対して自分の味方をしろという意見が身勝手。
自分の立場が分からず謝罪風脅迫など意味不明な行動をとる人が多いが、自分の立場を忘れないで行動してほしい。
何らかの事件の元被害者というケースもあるが、元被害者であっても誰かを攻撃した時点で加害者になるため何があっても決して攻撃をしてはいけない。攻撃した時点で世間を敵に回すことになり、今以上に不幸な立場になるのである。
あなたが被害者の立場になった時のことを考えてほしい。
あなたは自覚があるとかないとか関係なく、被害者に危害をくわえているのである。
被害者を不快、不愉快にさせ、怒らせているのである。
その心の傷を癒さずに放置するということは、被害者の敵ということである。
敵がのうのうと普通に生活していることを許せるだろうか。
不幸にしたくならないだろうか。
たとえ法律に違反してない些細なレベルのことであったとしても、それは変わらないのである。
あなたがまずするべきことは、自分がやったことについての落とし前である。
落とし前をつけない時点で自分の過ちと真剣に向き合うことが出来ていない。
そして向き合うことが出来ていないということは許してもらう気がないということであり、敵であり続けるということである。
落とし前をつけ和解し、その後はもう二度としないよう徹底するか、このまま死ぬまで敵になり続けるのか、あなたの選択肢はこのどちらかしかない。
人権だの誹謗中傷をやめろだの何だの言うのは、その落とし前をつけた後の話であり、つける前に先にそういうことを言うこと自体が理不尽である。
落とし前をつけないということは被害者の人権を無視しているということである。
被害者の人権を尊重しないということは敵である。
敵の人権を尊重する人がどこにいようか。
敵の言い分を、言うことを聞く人がどこにいようか。
被害者面するなというのは、そういうことである。
落とし前をつけずとも攻撃がなくなる場合もあるが、その場合は和解したわけではないため、何かが切っ掛けで被害者か世間からの攻撃がまた再開する可能性はあることをお忘れなきよう。
被害者、世間の方へ
いくら加害者相手とはいえ何をやっても許されるわけではない。加害者も人間である。被害者、世間は加害者に制裁を加える際、オーバーキルにしないように気を付けたほうが倫理的にいいと思われる。怒り任せに攻撃するのではなく、被害者が受けた苦痛と同じくらいに留める。法律がなんのために存在するのかを考えよう。
仕返しとはいえ、犯罪を犯せばあなたも加害者になる。
加害者が誰なのか確定してない状態(ネットの情報など)で攻撃をした場合、たとえ犯罪を犯してなかったとしても加害者になる可能性がある。
関連タグ
被害者…対義語。