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冷笑系の編集履歴2023/05/13 22:38:40 版
編集者:水世さん
編集内容:冷笑系は政治的なスラングなので、内容を政治的な解説になるよう全般的に書き換えた。

冷笑系

れいしょうけい

ネットスラングの1つ。社会的・政治的主張や情熱を蔑み笑ったりせせら笑う態度・言説のこと。

概要

「冷笑系」は2010年代から主としてTwitterの共通性を持った特定のクラスタを表すために使われるようになった言葉である。

なんらかの主張や意識、とりわけ政治的なものを上から目線でカッコつけて、冷ややかに笑いの種にしたり侮辱したりする人物を指すネットスラングである。

一般的にはシニシズムと呼ばれるスタンスの現代的な変形種である。

wikipediaでは、英語版の翻訳記事で、「他人の動機に対する一般的な不信感を特徴とする態度」であり「野心、欲望、貪欲、満足感、物質主義、目標、意見などの動機を持つ人々に対して一般的な信念や希望を抱かず、それらを虚しく、達成することのできない、究極的には無意味なものであると認識し、嘲笑や非難に値すると考えている」ものだとしている。

冷笑系の人物は、ネット上で社会批判がなされた時や、現状改革のための何かに熱心に取り組む人や、真剣に何かの主張をする人、或いは熱意が高じて感情が高ぶっている人などを標的にする。そういった人たちに対してなにかと「無意味」「必死だね」といちゃもんをつけて、茶化す、或いは冷ややかに嘲笑う。

夢を達成しようと取り組む人には「馬鹿馬鹿しい」「無駄な努力」、善意の行動をとる人には「どうせ売名目的」「偽善」といった具合にである。

名称の由来でもあるが、直接的に罵倒するというよりも対象の意欲や動機そのものを嘲って、チクチクネチネチと、冷水を浴びせかけるかのような悪意を向けるのが特徴である。

性質上、冷笑系の標的になるのは社会正義を訴えることが多い政治的左派のネットユーザーがほとんどすべてである。

冷笑系は二つの勢力が対立しているようなものに関しては一見して中立的な立場をとるが、これは自らが上位から全てを俯瞰してシニカルに達観している風を装う知的ファッションに由来するものであり、自らの冷笑的言説を駆り立てている当人の政治性を他者に悟られないようにするための偽装である。

冷笑系の言動は「右翼も左翼もどっちもどっち」などの「どっちもどっち」論を典型的なものとするが、こうした発言は外部からの突っ込みを想定して張っている予防線、エクスキューズとしてであり、実際のところは一方に対してのみ冷笑的な反応を見せ、もう一方に対しては何も言わずスルーする「中立装い」である。

他、政治的文脈とは関連しないところでも、似たようなエートスをもった冷笑的スタンスのネットユーザーが、熱意を持った人物に対して嘲笑を含んだ罵倒を投げかけることがある。

その場合、アンチの一種とみなすこともできる。

政治的なものやそれ以外の物を含む冷笑的言説全般を総合すると、自らは何も生み出さず、他の物を腐しているだけの人種である。

その性質上他人を苛立たせる言動が多いが、結局のところ本人はとにかく何かを否定して害意を満たしたい人たちなので放っておくしかない。というか、相手にするだけ無駄である。

特徴

  • 「正義の暴走」という表現を非常に好み、正義を嫌悪している
  • 「右も左もどっちもどっち」という表現で自らを政治対立を俯瞰する強者に位置付けている、或いはバランス感覚のあるように装う
  • 社会的熱意に対して突き放したような言動を取る。現実主義者のように見せかけている
  • 現状改革の努力を無意味だと嘲る

2ちゃんねるとの関係

冷笑主義の一大増殖地となったのは2ちゃんねるである。

もともと2ちゃんねるではレスバトルに夢中になって口調がヒートアップしきたり相手への返答として投稿が短時間に連続すると、その人物を「必死になっている」「顔真っ赤」と嘲笑したり相手の怒りを誇張することで、相手の意欲そのものを侮蔑してマウントをとることが一般化していた。

2ちゃんねるでは「賢い奴はどんな時でも感情的にならずクールである」「怒っている奴は低次元で馬鹿」というイデオロギーが充満しており、とにかく他者の意志や熱意を毛嫌いして馬鹿にするカルチャーがある。

こうしたアングラ空間のネットマナーが日本語圏のネットユーザーの基本的態度に影響してしまったために、後に発展したニコニコ動画などのコミュニティやTwitterなどのソーシャルメディアにもそのノリをそのまま持ち出す人が少なくなかった。

2ちゃんねる管理人の西村博之自身も冷笑的な議論や詭弁の達人であり、一種2ちゃんねらーの憧れのレスバ強者として偶像化されていた一面がある。

また、2ちゃんねるでは活動家を「プロ市民」といって陰謀論で中傷したり人権派を罵倒することが日常的に行われていたのも冷笑系への伏線となっている。

今日冷笑系と言われるクラスタの思想的源泉となったのは2ちゃんねるである、ということは相当の妥当性を持って指摘することができる。

問題点

本来であるならば、懐疑主義そのものは悪いことではない。

例えば人権への懐疑にしても、大義名分と、それを悪用する者への批判や、理想と現実のギャップを指摘することは一定の意味を持つはずである。

政治的正しさなどについて、その成否を議論することすら差別に当たる、という過激な硬直的性向に対しての多様な観点も必要である。

しかし、冷笑系はこうした本来の意味での健全な懐疑主義そのものとは質的に大きく異なっている。

最大の差異は、現状改善によって軌道修正を図るための分析ではなく正義などの社会概念そのものを否定していることにある。

このため、冷笑系からは現状改革の手立てが生じてこない。

社会が全く理想を求めないと目指すべき方角もなく、ひたすら目先の利益しか追求しなくなり、国際的にも何の価値を示すこともできず、どれだけ経済力があろうと尊敬を得たりリーダーシップを取ることもできない。

そもそも、善悪や正義はフィクションなのであるが、社会とは正義などの物語を持つことで適切に統合され、適切に動機づけられ、コミュニケーションを行う擬制なのである。

冷笑系のように正義の可能性をあざ笑って否定すると社会は自己修復力を失って腐敗してしまう。

社会は過ちを犯しながら、それでも何とか善意によって前進していこうとするものであり、都度傍観者が失敗をなじったり善意を腐していればそれすらもなくなってしまう。

中立を偽装することで自らを知的に装っているが、自らの思想的立ち位置を自分を含む全ての社会全体の中で示すことができないのはむしろ知的に未成熟な「大衆」にのみ見出される特徴である。

議論は双方が己の偏りや自分自身の言葉や思考を拘束している個人的なイデオロギーや信念やドクサの自覚と正直な開示なしには発展しようがない。

感情的になることが悪い、と決めつけているため、正当な怒りや理不尽への抵抗を無化してしまう。

左派などへの批判しにしても言いがかりに等しい物や抽象でしかないようなものも珍しくない。

例えば、悪法が国会を通過して成立した際には法案提出した内閣や与党ではなく、成立を阻止できなかった野党が力不足で悪いのだという倒錯した批判を行う。

今日の社会はアメリカ民主党主流派に代表されるような社会自由主義、一般にリベラルと呼ばれるイデオロギーがアイデンティティー政治などと結びついて非常に攻撃的な言論スタイルをとるようになったことで異論が認められないといった正反対の問題にも直面しているが、少なくとも政治的分断を乗り越えて社会的公正を真剣に考える上で冷笑系が意味を持つことはないだろう。

冷笑系の編集履歴2023/05/13 22:38:40 版
編集者:水世さん
編集内容:冷笑系は政治的なスラングなので、内容を政治的な解説になるよう全般的に書き換えた。
冷笑系の編集履歴2023/05/13 22:38:40 版