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概要

1293(永仁元)年(設置年代には93年説と96年説があるが、ここでは93年の北条兼時派遣に始まる93年説を採用する)、蒙古襲来後の異国警固強化を企図した鎌倉幕府により、従来の鎮西談義所の機能を吸収・合併するかたちで、博多に設置された統治機構。北条氏一門が長官に任命され、元の襲来に備えるよう、鎮西御家人の紛争の現地処理のための裁判にあたった。その他、九州及び壱岐や対馬の軍事統率・警察権を掌握し、辺海警備を行った。

1333(元弘3)年、菊池武時らによる鎮西探題攻略により、幕府と滅亡の運命を共にした。

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鎮西探題の編集履歴2023/05/27 01:16:25 版