概要
ウスターソースを炊きたてのライスにかけ、福神漬けを添えたもの。
その発祥は昭和5・6年頃の梅田の阪急百貨店大食堂であるとされる。
元々ここの大食堂ではライスカレーが人気で、注文した客はテーブルに備え付けられていたウスターソースをかけて食べていた。
しかし昭和恐慌の煽りで食費に事欠くようになったことで、ライスカレーではなくライスだけを注文し、テーブル備え付けのソースをかけて食べる客が激増。百貨店上層部はこれを問題視し、ライスのみの注文禁止を決定する。
しかしこれに対して阪急創設者の小林一三はライスだけの注文を歓迎する姿勢を見せ、店先にライスだけのお客様を歓迎しますという貼り紙まで出させた。
当然この小林のやり方をよく思わない従業員もいたが
「将来、彼らが結婚して子供が出来た時、ここで楽しく食事をしたことを思い出して家族連れでまた来てくれるだろう」
と諭し、従業員をどうにか納得させた。
果たして小林の予見はある程度的中し、景気が持ち直した後年の大食堂では、ソーライスで飢えをしのいだ当時の客があえてライスを注文し、食事後お礼とばかりに高額のチップを食器の周りに置いていく事態が多発したという。
関西の財界人の間では「阪急食堂でソーライ食ったな!」という話題が共通の昔話となるほど、ソーライスは大食堂の裏メニューとして定着していたようだ。
余談?
実はソーライスを巡る逸話を裏付ける公式な記録は、阪急百貨店には存在していない。
では発祥はというと、1964年12月に発行された「暮しの手帖」という雑誌の第1世紀77号に、この話が紹介された記事が掲載されており、そこから通説的に広まったのではと考えられている。
そのため真偽の程は測れないが、その後も当時を知る人や書物などによる多くの証言が寄せられており、それらを統合すると概ねこのソーライスの逸話の内容と符合していることから、事実に基づいた話であるという見方が強い。
いずれにせよ庶民に寄り添い、常に先を見据えていた小林氏らしいエピソードと言えよう。