1940年12月14日進水、1941年10月20日就役。
1942年4月18日、日本近海で甲板からアメリカ陸軍の爆撃機(B-25)を発進させ、日本を空襲(ドーリットル空襲)。
1942年6月5日、ミッドウェー海戦に参加。6月7日、三隈を撃沈。
1942年10月26日、南太平洋海戦で翔鶴を大破させるが、エンタープライズが損傷して退避したため、ホーネットに隼鷹、瑞鶴、瑞鳳の攻撃が集中して大破炎上、動力喪失。曳航が断念され、味方駆逐艦に雷撃処分されたが沈まず、放棄され漂流。日本海軍の駆逐艦秋雲と巻雲により雷撃処分された。
なお、処分前に移乗した日本海軍の臨検隊が米側によって撮影され、ホーネット艦内に放置されていた日本海軍空母航空隊による攻撃の様子を収めたフィルムを捕獲、フィルムには日本海軍空母航空隊の攻撃による連続急回頭で直衛の戦闘機を発進させることができなくなって死に物狂いの対空砲火で応戦するものの、急降下爆撃が命中して飛行甲板に大穴が開いた上に火災が発生し、航空雷撃が命中して艦が身震いを起こしたかのように揺れて艦載機が飛行甲板からずり落ちるホーネットの艦上が記録されており、これを持ち帰ってニュース映画に仕立てて当時の日本国民の晒し者にしている。このフィルムは動画ファイルになっていて、21世紀の現在でも見ることができる。
それから70年余りの歳月が流れた2019年1月20日、故・ポール・アレン氏の遺志を継いだ「バルカン・プロジェクト」のメンバーがサンタクルーズ諸島北北東沖の水深5330mの地点にて海底に眠るホーネットを発見。船体は船尾部分と旗甲板が分断されていたものの、対空機銃や高角砲などの装備は比較的良好な状態で保存されており、船体の付近にはF4Fワイルドキャットの残骸も散乱していた。また、当時の資料や写真では不明瞭だった船体の迷彩塗装も確認されており、青が基調の曲線で塗り分けられたものとなっていた。