概要
第2次ロンドン軍縮条約の締結により、航空母艦の保有枠が拡大したことを受けて建造されたヨークタウン級空母の改良型。
1941年10月20日、バージニア州ニューポート・ニューズで就役。
1942年4月18日、日本近海で甲板からアメリカ陸軍のB-25爆撃機16機を発進させ、日本を初めて空襲した(ドーリットル空襲)。
6月5日、ミッドウェー海戦に参加。機動部隊攻撃では功績を立てられなかったが、6月7日の追撃戦で重巡三隈を撃沈、最上を大破する戦果を挙げた。最初で最後のヨークタウン級3姉妹そろい踏みとなったが、長姉のヨークタウンは6月7日に戦没した。
戦後レーダーや対空火器の増設工事を受けたが、その間に始まったソロモン海での戦いで空母に損害が出続けたことにより、10月24日にエンタープライズと合流しアメリカ海軍唯一の機動部隊を編成した。
サンタ・クルーズ諸島海戦(南太平洋海戦)
10月26日、日本機動部隊を発見したホーネットは2波の攻撃隊を出撃させ、第1波が空母翔鶴に1000ポンド爆弾4発を命中させ、第2波がエンタープライズの攻撃隊と共に重巡筑摩に1000ポンド爆弾4発を命中させ共に大破させる戦果を挙げた。
しかし日本軍の4波に及ぶ攻撃隊により、250kg爆弾4発、800kg爆弾1発、魚雷3本を受け大破炎上。動力が失われたことで曳航が断念され、味方駆逐艦に雷撃処分と砲撃を受けたが沈まず、放棄され漂流。日本海軍の駆逐艦秋雲と巻雲により雷撃処分された。
なお、処分前に移乗した日本海軍の臨検隊が米側によって撮影され、ホーネット艦内に放置されていた日本海軍空母航空隊による攻撃の様子を収めたフィルムを捕獲。フィルムには日本海軍空母航空隊の攻撃による連続急回頭で直衛の戦闘機を発進させることができなくなって死に物狂いの対空砲火で応戦するものの、急降下爆撃が命中して飛行甲板に大穴が開いた上に火災が発生し、航空雷撃が命中して艦が身震いを起こしたかのように揺れて艦載機が飛行甲板からずり落ちるホーネットの艦上が記録されており、これを持ち帰ってニュース映画に仕立てて当時の日本国民の晒し者にしている。このフィルムは動画ファイルになっていて、21世紀の現在でも見ることができる。
それから70年余りの歳月が流れた2019年1月20日、故・ポール・アレン氏の遺志を継いだ「バルカン・プロジェクト」のメンバーがサンタクルーズ諸島北北東沖の水深5330mの地点にて海底に眠るホーネットを発見。船体は船尾部分と旗甲板が分断されていたものの、対空機銃や高角砲などの装備は比較的良好な状態で保存されており、船体の付近にはF4Fワイルドキャットの残骸も散乱していた。また、当時の資料や写真では不明瞭だった船体の迷彩塗装も確認されており、青が基調の曲線で塗り分けられたものとなっていた。