見せ槍
みせやり
概要(一般・R-18G)
江戸時代の磔は多分に儀式的な側面があり、作法のようなものが存在していた。
当時は受刑者を2本の槍で串刺しにして殺す事が一般的であったが、その刺し方にも詳細な決まり事があったほどである。
この作法は刺し始める前から既に始まっていた。最初に槍同士を罪人の顔の前で交差させて見せるものとされていたのである。
この行為を「見せ槍」と称した。
元々は恐怖心をより煽るためのサディズムだったとも、はたまた見物人に向けた一種のパフォーマンスだったとも言われるが、真相は歴史の闇の中である。
概要(R-18)
ともあれ、この行為を現代に伝えようとする勢力が一定数存在している。主に性的な意味で。
これも発祥は不明であるが儀式化しており、典型的には以下のように表される。
すなわち、自慢の槍(性的な意味で)を相手に見せ付け、これで今から刺すぞ(性的な意味で)と予告するのである。
自慢とは言うが、江戸時代同様にサディズムやパフォーマンスを重視しており、メインにするのはあくまで見せられた相手の反応である。そのため「槍」本体は画面の隅に追いやられ、場合によってはシルエットなどで暗示的に示されるのみになる点も特徴である。
これは典型を逸脱せずに一般向けに載せる知恵としても活かされている。
江戸時代と異なる点としては、「槍」は大半が1本のみに減ってしまっている事が挙げられる。
「両手に茎」のように2本以上を前提としたシチュやスラングもあるのだが、これに関しては1本のみが典型になってしまっている。
理由はやはり不明であるが、その意味のわからなさも儀式的である。
ところで、「見せ金」といった言葉があるように、現代で「見せ」と言うとどこかハッタリ的なニュアンスが付き纏う事もまた事実である。
そうした背景もあってか、性的な意味での「見せ槍」は必ずしも恐怖が得られるとは限らない。
言う程立派ではないなどとして、呆れや失笑、果ては一周回ってかわいがられるといった一転攻勢が始まる様子もよく確認されている。
もっとも、それも「我々の業界ではご褒美です」といった別のシチュの始まりなのかもしれないが。