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ナイラ証言の編集履歴

2023-09-23 21:39:28 バージョン

ナイラ証言

ないらしょうげん

湾岸戦争に関連する出来事。

概要

イラクのクウェート侵攻に対抗して発生した、反イラクキャンペーンの一つ。


ニューヨークの広告企業ヒル・アンド・ノウルトンが、クウェート大使館傘下の広報組織から資金提供を受けて展開したキャンペーンの一環である。

実際の証言は1990年10月10日、トム・ラントスが率いる人権委員会に於いて行われた。


ナイラと名乗る少女は「イラク兵は残虐でクウェートの病院に攻めてきて赤ちゃんを皆殺しにした」と証言したが、実は彼女は一度もクウェートに行ったこともない駐米クウェート大使の娘であ、証言の内容はでっち上げであったわけだが、この証言は慎重な検証を待たずして大々的に公開されてしまい、米世論の誘導に一役買ったと見られている。



ちなみにこのような捏造報告は謀略宣伝として湾岸戦争に限らず行われており、情報戦の一つとして多く行われている。

例えば第二次世界大戦時でもドイツ占領下のベルギーにおいてドイツ兵によりベルギーの子供が虐げられているという報道がされている。これはアメリカの欧州戦争への介入を促すべくフランスの諜報機関が流したプロバガンダであったが、これを受けて介入へと世論が動き出している。こういった事は諜報機関といった政府関係が行うだけでなく民間でも行われる事があり、ドイツにより家が焼かれ家族を失った赤ん坊が居ると捏造し報じた民間の報道機関もある。

派兵といった行動を起こすには国民の声に押されたというのが一番効果的であり、弱者の属性を持つ者が虐げられている、と報じると普段はささいな諍いであろうと非難するものであっても手のひらを返して派兵を叫ぶこともあるので使いやすい手段であり、正義感に駆られて後のことを考えず熱狂して派兵を叫ぶというのは珍しくはない。あまりにも非道に描いてしまうと侵攻後に戦闘時に過剰に攻撃を行ったり捕虜の虐待をしてしまう等も引き起こす可能性があるため、現代のクリーンさを求められる戦闘においてはあまり使える手ではなくなっている。


影響

軍事作戦に対する具体的な影響はほとんど存在しない


砂漠の盾作戦が発動したのは2か月前の8月、米軍は既にサウジアラビアに展開しており、10月にはイギリス軍、フランス軍などを加えた多国籍軍が既に集結を済ませている。

攻勢作戦の検討も8月から始まっており、実際に砂漠の嵐作戦が発動したのは証言から僅かに3ヶ月後の1月17日である。証言は軍事的決断に影響を与えるには遅すぎた。


一方で世論への影響力は定かではないが、1990年8月時点では大半が「制裁の成果を待つべき」となっていた世論調査の結果が、その後数ヶ月で大きく変化したのは事実である。

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