概要
『仮面ライダーOOO』の第22話「チョコと信念と正義の力」での主人公・火野映司の台詞。
白石知世子の後輩である神林進の「世直しをしたい」欲望から生み出され、悪人を次々と襲うバッタヤミー。
まるで悪を倒すヒーローのように振る舞い、時には善行も働くバッタヤミーと、それを応援する神林親子。
彼らの行為を見た後藤慎太郎が「本当にあのヤミーを止める必要があるのか」と疑問を抱く一方で、映司の答えは……
「倒さないと」
「いっぱい見てきた。誰かを守りたいっていう気持ちや、自分達の正義がどんどんエスカレートすることがある」
「正義のためなら人間はどこまでも残酷になれるんだ」
彼は旅先で紛争やテロといったエスカレートした正義感が引き起こす悲劇を数多く目の当たりにしており、正義の名の下に暴力を振るうバッタヤミーの危険性を理解していた。
このままバッタヤミーを放置しておけば、いずれは神林親子にとっても取り返しのつかない事態を引き起こしてしまう。そう判断した映司は躊躇いなく彼らを止めに向かい、あまりにも容赦のないバッタヤミーの振る舞いを見て自分の正義に迷いを感じ始めていた神林に
「あれが神林さんの考えてた正義ですか? あれがやりたかったことなんですか!」
と一喝して間違いに気付かせたのだった。
その後、それまで協力者のような顔をしていたウヴァに息子を人質に取られ、バッタヤミーもそんな目の前の悪事を無視してウヴァに従い続けたのを目の当たりにし、神林は正義感を利用されているだけの身だったことを完全に自覚。
大切な息子を命の危険に晒してしまったこともあり、「つくづく自分が嫌になりましたよ」と自嘲する彼に、映司は
『誰が正しくて誰が間違ってるって、とっても難しいことだと思います』
『自分が正しいと思うと、周りが見えなくなって……正義のためなら何をしてもいいと思ったり』
『きっと、戦争もそうやって起こっていくんです』
『目の前で起こっていることに一生懸命になるしかないんです。小さな幸せを守るために』
と諭す。
そしてバッタヤミーが倒された後、神林は「小さな幸せを守る」ため、改めて弁護士を目指しながらも家族のもとへ帰ることを決めたのだった。
作品・創作においての扱い
同じ仮面ライダーシリーズを含め、「正義感が暴走することの危険性」というテーマを扱っていたり「過剰な正義感から過ちを犯してしまった」人物が登場したりする作品は時折見受けられる。
そのため、視聴者からはそう言った作品を語る際にたびたび引き合いに出される台詞となっている。
【編集上の注意】
他作品のネタバレにつながる加筆はおやめください。
また独自解釈に基づく記述、過大な文量での解説などもお控えください。
仮面ライダーシリーズの他作品における例
クウガの最終形態であり、究極の力を持つ「凄まじき戦士」。しかし変身すると理性を失い、グロンギと同等の殺戮者に成り果ててしまうという危険な形態でもある。
ヒーローが倒すべき悪への怒りや憎しみに囚われて優しさを失えばどうなるか、ということを象徴するような存在であり、当代の変身者となった五代雄介もあまりにも卑劣で悪辣な敵への怒りに我を忘れた際にその危険性を垣間見たため、変身を避けていたが……
しかしオルフェノクに対する敵愾心の強さから非情すぎる行動に出てしまうなど、そういった面に関しても必ずしも全てが肯定的に描かれているわけではなかった。
「人間は守る」「アマゾンは狩る」というスタンスを徹底している、人間視点で見れば概ね「正義」に則って行動している人物。
しかしseason1終盤から次第にその行動は過激かつ狂気を帯びたものになっていき、水澤悠や未覚醒のアマゾン達にとっては虐殺者としか呼べない存在になってしまう。
犯罪者をターゲットに私刑行為を行っていたドーパント。悪を憎む心が行きすぎて悪そのものになってしまった存在。
- リオン=アークランド(ネタバレ注意)
「ゼロワン」本編での黒幕だったアークとは逆に「人類の善意」をラーニングしたAI。それ故に「些細な悪意も許さず善意から人類を滅亡に導く」存在になりうるとその危険性を言及されている。
『仮面ライダーリバイス』における2号ライダーに変身する五十嵐家の次男。
自身の相棒である悪魔を消滅させてしまったせいで「正義」への固執が強くなり、一時は兄妹である一輝やさくらとも対立関係に陥るほどに迷走していた。