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カラカッラの編集履歴

2012-09-14 14:44:04 バージョン

カラカッラ

からかっら

第23代ローマ元首 アントニウス勅令を出しローマ全土の人間をローマ市民とした。 石膏デッサン像の一人 188 - 217

IMPERATOR CAESAR MARCVS AVRELIVS ANTONINVS AVGVSTVS (CARACALLA)

カラカッラ

本名ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス
ラテン語Lucius Septimius Bassianus
元首名インペラ―トル・カエサル・マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス(211年)
元字Imperator Caesar Marcus Aurelius Antoninus Augustus
世没188年4月4日 - 217年4月8日
在位209年 - 217年4月8日
就任209年2月4日

ローマ帝国の23代ローマ元首

セウェルス朝の君主としては第2代当主となる、本名よりもカラカッラ(Caracalla)という渾名で呼ばれる場合が多く歴史学者達もこのように呼称している。


セウェルス朝の初代君主セプティミウス・セウェルスの長男であり、ローマ史上に残る暴君の一人として記憶される。軍人を高給とパフォーマンスで味方に付けて、民衆も貴族も等しく暴力と死の恐怖で弾圧したからだった。東方各地(しかも帝国領内)で略奪を繰り返し、住民を虐殺した揚句、個人的な恨みを買った近衛兵に、道端で放尿中に刺し殺されるという、非常に情けないシチュエーションの最期を迎えた。


一方で全属州民にローマ帝国の国民としての権利と義務(市民権)を与えるアントニヌス勅令を決定し、結果的にローマ領内における民族・人種による出自差別を撤廃した事で知られる(当然ながら、奴隷は属州民ですらない(人と見なされない)ため計算に入らない)。他に銀貨の改鋳(銀の含有量を減らした)、大浴場(カラカラ浴場)の建設などを肯定的に評価する歴史家も存在する。


ただし勅令の目的は、歴史家カッシウス・ディオによれば、税収拡大(相続税と奴隷解放税)が目的ではないかと考えられている。


当時のローマの税制

  • 相続税は親族以外への遺産贈与にしか掛からない。ラテン人(ローマ市の支配層を占めていた民族)は有力者に自分の財産を分与する習慣があり、基本的にそんな事をしない異民族はほとんど相続税の対象にならない。
  • 長年務めてきた奴隷を解放する(そして解放奴隷やその子孫を子分格にする)のは、あくまでもラテン人の習慣でしかない。税収増大は計算倒れに終わったと考えられている。

おまけに「勅令以前からの市民」と「勅令による市民」という新たな身分ができてしまい、階層の固定化につながったという見方もある。


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