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都01系統の編集履歴

2024-06-15 23:53:05 バージョン

都01系統

ぐりーんしゃとる

都01系統は、渋谷駅から新橋駅を六本木通り、外堀通り経由で結ぶ路線である。都市新バスに指定されており、愛称は「グリーンシャトル」担当営業所は開業時から一貫して渋谷営業所である

概要


都01系統は、渋谷駅から新橋駅を西麻布、六本木、赤坂、溜池、虎ノ門経由で結ぶ路線である。渋谷~新橋間はほかにも複数の系統(都06、渋88)が運転されているが、本系統が最短かつ最速で同区間を結ぶ路線である。渋谷~新橋間は銀座線の運行範囲と重なるものの、銀座線は青山通り直下を走るため直接的な競合関係にない点、鉄道の便が悪い西麻布、六本木、赤坂、溜池を直線的に結ぶ点、さらにこれらの地域から渋谷、新橋の大ターミナルを直通することもあり、本数、利用者数ともに都営バスの中でもトップクラスの部類に入る。行き先を見ても、日中は渋谷側から新橋、赤坂アークヒルズ行きを交互に運転しつつ、南青山七丁目(平日朝のみ)、溜池(終バスのみ)が運転され、バラエティに富んでいる。また、渋谷~六本木ヒルズを直通するRH01も、本系統からの派生路線である。担当営業所は前述の通り運行開始から一貫して渋谷営業所が行っているものの、2004年から5年間は新宿支所(←新宿営業所)との共管となっていた時期もあるが、新宿支所のはとバス委託と同時に解消された。

専用車両に掲示されていたヘッドマークはペガサス、愛称ロゴは青地に白文字で書かれていたが、近年は車両代替や専用車の消滅もあり、2010年代後半以降は営業運転では基本的に一般車と同じ仕様になっている。

歴史


本系統はその歴史を辿ると都電6系統にたどり着く。戦前は渋谷から西新橋一丁目に出たのちに北上、馬場先門を経て永代橋まで至る路線だったが戦中の路線中止と短縮を得て現在の姿に近い渋谷~新橋を結ぶ路線となった。本系統も他の都電と同様、高度経済成長下におけるモータリゼーションの進行とそれに伴う渋滞の悪化により都の都電撤去政策の対象となり、1967年の都電1次撤去により廃止となった。代替として区間そのままに設定されたのが本系統の前身にあたる506系統である。運行区間は現在とほぼ変わらないものの、南青山七丁目付近は当初六本木通り経由ではなく、現在の渋88系統が経由する青山通り、骨董通り経由で運転され、これは都市新バス化まで変わらなかった。のちの新番号化で橋89を名乗るようになり、1970年代後半の交通局第二次再編で路線の集約化がすすめられたことで渋谷から六本木、都心方面は本系統と東82(→渋88)に集約されていった。

交通局の路線再編を乗り切った本系統も、昭和中期以降は交通量の多い六本木通りの渋滞に悩まされるようになった。年を追うごとに渋滞は悪化し、定時性は下降の一途を辿り、乗客離れも危惧されたが、本系統は鉄道の不便だった南青山、西麻布、六本木、溜池を直線的に繋いでいた点、また路線の両端に渋谷、新橋のターミナルを抱えていたため代替後も乗客、収支ともに安定していたこともあり、テコ入れとして都市新バス第一弾に抜擢されることとなった。都市新バス化に際してはスピードアップのために南青山七丁目付近の経路を渋88とトレード、青山通り、骨董通り経由から現行の六本木通り経由となった。

1984年3月31日、橋89は都01として再スタートを切った。早朝の渋谷駅では路線バスとしては異例の規模で開通式が執り行われ、多くの職員が見守る中第一便が出発していった。いかに交通局が都市新バスに期待していたかが分かる。

上部引き違い式の大窓にハイバックシート、冷暖房完備と当時としては破格の設備を備えた新車を33台導入し、バス専用レーンの設置、接近表示機、シェルターもしくは上屋の整備されたバス停、バスロケーションシステムなど当時最先端の設備を引っ提げて登場した都01だが、その効果はすぐに現れた。

1983年度の橋89の一日平均利用者数は15668人だったが、1984年度の都01では23493人と5割増しに、1985年度は24923人、1986年度は27411人と3年で2倍近くにまで増加した。

1986年には赤坂アークヒルズも開業して新橋側の利用者も増加、効率のいい輸送が可能になった。1988年には深夜バスも運行開始、1989年には朝ラッシュ限定で渋谷~南青山七丁目折り返し便が開設されて本数も増加していき、都営バスの絶対的エースとしての地位を確固たるものとした。当時都営バスは減便→乗客の減少→廃止という負のスパイラルに陥ることが多かったが、やり方次第で客を取り込むことも可能という成功例は交通局上層部のみならず、現場にとっても大きな励みになったことだろう。


平成初頭はバブルによる好景気で西麻布、六本木などの歓楽街を抱える本系統はさらなる増便を行い、まさに破竹の勢いで規模を拡大していった。まさに向かうところ敵なしといったところだった。

しかし、そんな快進撃もバブル崩壊とともに終わりを迎えることとなった。バブル崩壊後は先述の歓楽街の賑わいが落ち込み、太客を失った本系統の乗客数は全体的に落ち込みを見せ始めていた。大きな転機となったのは1997年の南北線、銀座線溜池山王駅開業である。これまで地下鉄路線がなく本系統の独壇場だった溜池地区に本系統の起終点を結ぶ地下鉄が開業してしまったのだ。これによりさらに乗客は減少、とくに新橋側の乗車率の落ち込みは激しく、2~3割の減少になったそうだ。

これを受けて1998年の改正では朝夕の便を中心に溜池行きが設定され、従来の南青山七丁目行きは溜池行きに吸収、もしくは削減される形で廃止されたが、翌年には早くも復活している。

そして2000年12月に大江戸線が開業、経路上に六本木駅が開通したこともあり、本系統はさらに減便、この時に溜池行きは四80系統が廃止となり定期便の設定がなくなった赤坂アークヒルズ行きへと短縮の上日中時間帯にも運行開始され、全線通し便は全体の半数にまで減少してしまった。打開策として渋谷~赤坂アークヒルズ間に急行便が開設されることとなった。

その後も本数は微減していきこのままジリ貧かと思われたが、沿線の再開発により持ち直していくこととなる。

まずは2003年3月の六本木ヒルズ開設と街びらきに合わせ渋谷~六本木ヒルズの区間便が登場、交通局も車内広告やパンフレットを製作し、積極的なPRを実施した。さらに半年後には同区間の急行便RH01も開設、森ビルが資産を出して専用車両で運転されることとなった。開通当初は車内広告を関東私鉄に張り出したり、パンフレットや宣伝も積極的に行うなど、当時の都営バスとしては異例な規模で行われた。

2007年には六本木の防衛相跡地に東京ミッドタウンが開業、渋谷~ミッドタウンの区間便が設定されたがこちらは本数が中途半端だったことや構内に乗り入れなかったこともあり乗客が定着せず、2011年に廃止されてしまった。

このような打開策が功を奏したのか、2003年以降の総本数は増加傾向にある。2011年のミッドタウン行き廃止の際もほぼ全便が赤坂アークヒルズ行きに振り替えられ、本数は減少していない。急行便も含めれば運行本数は最盛期に匹敵する勢いを見せる。

近年はコロナ渦による減便や時間外労働条件見直しや慢性的な乗務員不足もあり再び減便基調になりつつあるものの、それでも本数は多く、利用者も含めて都営バスのエースとして未だ存在感を放っている。

余談


本系統では2011年12月より猪瀬都政の下、試験的ではあるものの金、土曜に終夜運転がおこなわれていた。区間は渋谷~六本木駅を4往復であり、運賃は深夜バスと同額の420円、話題性の高さから初日はマスコミが渋谷駅ロータリーに押しかけて大々的に報じられた。年末の歓楽街への需要もあり初日は300人の利用があったが、年明け以降は乗客が減り続け、結局2012年10月に廃止されることとなり、1年足らずで見納めとなった。最終運行日は初日と同様マスコミが渋谷駅へと詰めかけたが、奇しくもその日はハロウィーンであり、全便満員と、初日と似たような光景を見ることができた。


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