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岡倉天心の編集履歴2012/10/14 14:24:26 版
編集者:大東博士
編集内容:新規記事作成

岡倉天心

おかくらてんしん

文久2年~大正2年 明治時代の美術行政家・思想家。本名は覚三。天心と号した。

横浜の人。

ジェームズ・バラの塾で英語を、長延寺玄導和尚から漢籍を学ぶ。

東京大学を卒業後は、文部省に入ると共に、師アーネスト・フェロノサの日本美術研究を手伝う。

明治20年代以降は日本画革新運動を先導。

東京美術学校(東京藝術大学の前身)の校長となる。

明治31年、官学に対抗して日本美術院を創設。

明治37年、ボストン美術館に勤務して日米を往復。

風光明媚な五浦(茨城県北茨城市)に魅了された天心は明治36年には別荘を建て、以来この地を本拠地とした。

アメリカボストンに赴く一方、五浦では日々釣りや読書を楽しみ、六角堂で思索に耽っていたと言う(六角堂は東日本大震災で流失したが、現在は再建され、一般公開中)。

『東洋の理想』『日本の覚醒』『茶の本』などがある。

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