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岡倉天心

おかくらてんしん

文久2年~大正2年 明治時代の美術行政家・思想家。本名は覚三。天心と号した。

岡倉天心とは、日本の美術行政家・思想家である。


概説編集

横浜の貿易商岡倉勘右衛門の子として生まれる。ジェームズ・バラの塾で英語を学び、長延寺玄導和尚に弟子入りし漢籍を学んだ。


東京大学を卒業後は、文部省に入る。英語が得意だったことから、アーネスト・フェノロサの日本美術研究を手伝う。


明治20年代以降は日本画革新運動を先導。27歳で東京美術学校(東京藝術大学の前身)の校長となる。明治31年、官学に対抗して日本美術院を創設。


明治37年、ボストン美術館に勤務して日米を往復する生活を送る。


風光明媚な五浦(茨城県北茨城市)に魅了された天心は明治36年には別荘を建て、以来この地をボストンと並ぶ本拠地とした。五浦では日々釣りや読書を楽しみ、六角堂で思索に耽っていたと言う(六角堂は東日本大震災で流失したが、現在は再建され、一般公開中)。


日本人の文化を英語圏に紹介する役割を果たし、『東洋の理想』『日本の覚醒』『茶の本』など、多くの著書を英語で書いている。

また「神仏分離令」によって全国に広がった「廃仏毀釈運動」に触れ、日本古来からの美意識の保全と思想の保護を強く訴え、運動の収束に大きな役割を果たしている。


毎日2升酒を飲むと言われるほどの大変な酒豪であり、若き日の横山大観に「おまえは酒をどのくらい飲むか?1升以上呑むんでなければ酒を呑んだと言うな!」 と叱咤した、というエピソードがある。


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