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加東大介の編集履歴

2024-08-30 00:04:06 バージョン

加東大介

かとうだいすけ

日本の俳優。(1911年2月18日 - 1975年7月31日)

概要

本名:加藤 徳之助、東京市浅草区(現:東京都台東区)出身。身長160cm。


中学卒業後、1929年に歌舞伎の二世市川左団次に入門、1933年に前進座に入り、市川莚司を名乗る。同年には大日本自由映画プロの『段七しぐれ』で映画デビュー、その後は山中貞雄監督の『河内山宗俊』(1936年)や『人情紙風船』(1937年)などに出演し、中堅俳優の一人として広く知られるようになる。


兵役を1933年に伍長勤務上等兵(後の兵長)で除隊し終えていたが、1943年に陸軍衛生伍長として応召。1946年に復員する。


1948年からは大映京都と専属契約した。


1950年に黒澤明監督の『羅生門』に出演したのち、1951年秋にフリーとなり東宝に移籍する。以降、『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年)、『用心棒』(1961年)をはじめ、黒澤作品に常連として出演する。


1952年に黒澤脚本の『決闘鍵屋の辻』、成瀬巳喜男監督の『おかあさん』での明朗できびきびとした演技が批評家から絶賛され、1952年度の毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の男優助演賞を受賞、1955年には今井正監督の『ここに泉あり』、内田吐夢監督の『血槍富士』で2度目のブルーリボン助演賞を受賞した。


1972年、大河ドラマ『新・平家物語』で北条時政を演じた。


1975年2月に結腸癌で入院、入院してから5ヵ月後の7月31日に64歳で死去した。

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