概要
開発経緯
当初マチルダ歩兵戦車の後継の陣地突破用戦車として開発が開始されたA20試作戦車だったが、第二次大戦が始まり西部戦線において第一次大戦同様に敵陣を蹂躙する戦車が必用となるであろうと考えられたため、第一次大戦時のひし形戦車に似たスタイルのA20は西部戦線用に開発方針を変更された。しかし、重量過大と速度不足さらに第一次大戦風の古い兵器思想からA20は時代遅れと見なされ、量産化は見送られた。だが戦争が始まって戦車が一台でも多く欲しい状態だったため、開発担当会社を変更し新しい仕様のA22として開発は継続された。
開発
試作車の完成と同時に歩兵戦車Mk.IVとして制式化され500両の発注を受けたが、時の英国首相チャーチルが「A22は他の戦車に比べて優秀であるから、生産を優先せよ」との指示を出したため生産は急ピッチで進められ、この戦車を引き立てたチャーチルの名が戦車にも冠された。
特徴
1941年6月、部隊配備を開始。実戦からの情報をフィードバックして改良を重ねたため、多くの派生型がある。第一次世界大戦の戦術から進歩していない設計思想のため機動戦が出来ないほどの鈍足ではあったが、大口径砲でないと打ち破れない重装甲を誇り、歩兵戦車としては十分に活躍した。
実戦
チャーチル歩兵戦車の初陣は、1942年8月のジュビリー作戦であった。第14陸軍直轄戦車大隊(カルガリー連隊)の37輌が三波にわたり投入されたが、多くが水没または海岸で撃破または擱坐、上陸して戦闘に参加できたのはうち17輌だけであった。そして損害の大きさから作戦は中止され6輌のみが海岸に撤退できたものの、脱出し本国に生還できた戦車兵はわずか1名であった。しかし、敵砲火によって撃破されたものはわずか2輌に過ぎず、防御力の高さだけは立証された。ちなみに、第四波の投入される予定だったが未投入となった
以後、主に歩兵支援に投入され、地味だが重要な存在となった。また、上記のようにソ連への援助車輌としても活躍した。
ノルマンディー上陸作戦では、ジュビリー作戦での失敗の反省から、第79機甲師団(通称『ホボーズ・ファニーズ』)がチャーチルをベースにした各種の特殊工作車輌を多数装備し、分散配備され活躍した。
後に正式採用されたチャーチルAVREとなった。